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Teenage Dream
VOL.7 辰巳ゆうと(たつみ・ゆうと)

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HYSTERIC GLAMOURが夢を実現するためにチャレンジをしている世代に、現在地や未来への展望、将来像をインタビュー。ティーンエイジャーの頃思い描いた夢、憧れをはじめ、今現在の達成度、ここまでの挫折、苦悩、さらに今後の目標や挑戦を掘り下げます。第7回は演歌歌手、辰巳ゆうとさんが登場。普段はお着物やキラキラ衣装を着こなし、“演歌界のプリンス”と呼ばれる辰巳さんの、新鮮なストリートスタイルにもご注目ください。

——今日の撮影はいかがでしたか?

めちゃくちゃ最高でした! 実は横浜のジョイナスにあるHYSTERIC GLAMOURのお店にはよく行くんですよ。いつも「これめっちゃ可愛い」「あれもめっちゃいい」って思いながら見ていたんですけど、「どう着こなしたらいいんやろう」とか、「自分には似合わんかもしれん」とか考えてしまって、なかなか一歩を踏み出せずにいて。でも、今回お話をいただいたときは、髪もハイトーンにしていたので、「いけるかもしれん!」と(笑)。実際に着てみたらすごくいい感じで気分が上がりましたし、絶対に買いに行こうと思っています。

——10代の頃を振り返ると、どんな時間を過ごしていましたか?

毎日がキラキラしていましたね。外で遊ぶことが大好きで、暇さえあれば友達と一緒にいるような活発な学生でした。中学では野球部に入っていて、とにかく野球をしている時間が何より楽しかったです。学校が終わったら部活をして、友達と遊ぶときもバッティングセンターに行って。そんな学生生活でした。

——野球を始める前から、歌のレッスンにも通っていたそうですね。

そうなんです。もともとはじいちゃんの趣味で、3歳くらいの頃からカラオケ喫茶によく連れて行ってもらっていて、物心がついた頃には僕もそこで勝手に歌っていたみたいです(笑)。10歳くらいになると地元のカラオケ大会にも興味を持つようになって、「どうしたらもっと歌が上手になるんやろう」と思い、カラオケ教室にも通い始めました。平日は学校と野球、土日はカラオケという生活でしたね。

——歌う曲はいっぱい選択肢があったと思いますが、ずっと演歌一本だったんですか? 

ポップスももちろん聴いてたんですけど、歌うとなると自然と演歌だったんですよ。自分の体の中に染みついたというか。僕の中では、J-POPは聴くもの、演歌は歌うもの、という感覚が小さい頃からありました。

——当時、憧れていた歌手はいますか?

氷川きよしさんです。新曲が出るたびに聴いて覚えて、カラオケで歌って……。演歌歌手になりたいと思ったのも、氷川さんに影響を受けたからです。保育園に通っていた頃から、七夕の短冊には「氷川きよしみたいになる」ってずっと書いていましたから! で、中学1年生のとき、氷川さんがゲスト出演されるカラオケ大会があって、「氷川きよしさんに会えるなら出てみよう」という気持ちで参加したんです。そこで優勝することができて、うれしくて号泣していたら、氷川さんが頭をよしよししてくださって。そのことは今でも鮮明に覚えています。

——その大会でスカウトされたんですよね。

はい。ただ、スカウトしていただいたからといって、すぐにデビューできるわけではありませんでした。歌手になりたいと思いながらも、中学生や高校生になるにつれて、だんだん現実も見えてくるじゃないですか。だから、大学進学と同時に歌手を目指して上京したときも、なれなかったときのことばかり考えていて……。歌手になることができなかったら英語の先生になろうと思って、大学ではデビューしてからもしばらく並行して教員免許のカリキュラムも取っていました。それくらい、自分が本当に芸能の道を進めるとは思っていませんでした。

——上京後、デビューまでの期間はどのように過ごしていたのでしょうか?

最初の1年くらいは、ただ大学に通って、定期的に歌のレッスンを受ける日々でした。「こんなことをするために東京へ出てきたわけじゃないのにな」と思ったり、「これがいつまで続くんやろう……」と不安になったり。夢はあったけど、あまり希望を持てていなかった時期でした。そんなときに、事務所の方から「修行の一環としてストリートライブをやってこい」と言われて、ひとりで街に立つことになったんですよ。いざ、ラジカセと簡易的なマイクを用意して街へ出たはいいけど、最初は怖くて1曲目をなかなか流せなくて。街中で突然大きな声を出すって、すごく勇気がいるじゃないですか。初日は覚悟が決まるまで、20分くらいただ立ち尽くしていました。

——でも勇気を出して覚悟を決めて?

はい。でもどれだけ一生懸命歌っても、最初の3か月くらいは本当に誰も足を止めてくれなかったんです。それまで、カラオケ喫茶では、「小さいのに演歌を歌って偉いね」「上手だね」と褒めてもらって、カラオケ大会でも賞をいただいたりしたのに。そこで初めて、自分はこれまで順風満帆だったんだと気づきました。一歩外へ出たら、自分の歌には何の力もないんだ……。そんな現実を突きつけられた気がして、大阪へ帰りたいと思いましたね。

——それでも、ライブを続けられたのはなぜでしょう?

ある日、ひとりの方が足を止めてくださったんです。僕は「この人を逃したら、最初で最後のお客さんになるかもしれない」と思って、なんとか最後まで聴いてもらえるように、曲の合間にお話ししたりしながら必死に歌いました。すると、次のライブではその方がお友達を2人連れてきてくださって。3人くらいが聴いていると、不思議と通りかかったほかの方も立ち止まってくれるようになって、3人が5人になって……ってどんどん聴いてくださる方が増えたんですよ。

——最初のひとりとの出会いが、大きな転機になったんですね。

そうですね。0を1にするのはものすごく大変だったけど、1が3になり、5になっていくのは面白いくらいに広がっていって。それまでストリートライブにはネガティブな気持ちしかなくて、「今日は10曲歌わなければいけないから、早く10曲歌って帰ろう」としか考えていなかったんですけど、その方と出会ってからは、「どんなセットリストなら、もっとたくさんの人が足を止めてくれるだろう」と前向きに考えるようになりました。1回1回のストリートライブに意味を見つけられるようになったことが、自分の中ではすごく大きくて、その経験があったから今があると本当に思えます。誰も聴いてくれなかった経験があるから、今ステージの前にお客さまがいてくださることを当たり前だとは思わないですし、ひとりでも僕の歌を聴きたいと思ってくださる方がいることは、本当にありがたいことですから。

——辰巳さんが感じる、演歌の魅力は?

すべてを言わない美学があるところ。演歌は歌詞の言葉数が決して多くないけれど、その中にいろいろなストーリーが詰まっているんです。同じ歌を聴いても、それぞれの人が自分の経験や感情を重ねられるというか。直接的に表現していないからこそ、聴いただけで景色や感情が浮かんでくる奥ゆかしさがあるんですよね。僕も年齢を重ねるにつれて、少しずつ歌詞の意味を理解できるようになってきて、そういうことを考えながら歌うのがすごく楽しいです。

——同世代で演歌を聴いている人は少なかったと思います。演歌を歌っていることに、葛藤はありませんでしたか?

正直、演歌を歌っていることを恥ずかしく感じたり、コンプレックスに思ったりした時期はめちゃくちゃありました。当時SNSもやっていたんですけど、友達に「変わったヤツやな」と思われるのが怖くて、ひたすら日常の他愛のない投稿ばかりしていたし、デビューしたことも最初は隠していたくらいです。でも、僕は友達にすごく恵まれていて、カラオケ大会を見に来てくれたり、「すごいやん」と応援してくれたり、自分が不安に思っていた部分を、逆に“すごいこと”として受け止めてくれたんですよ。もしそこでからかわれていたら、演歌をやめて、みんなが聴いているジャンルの曲を歌ったほうがいいのかなと思っていたかもしれません。周りの人に支えてもらえたからこそ、続けてこられたと思います。

——現在は演歌歌手として、ハイトーンヘアなどビジュアル面でも新しい姿を見せています。

演歌界にいると、「いつでも礼儀正しく、しっかりしていなければいけない」と、どこかで思い込んでいたんです。髪色も黒や暗い茶色でなければいけないとか、誰かに言われたわけではないけれど、なんとなく自分の中に暗黙のルールがあって。でも、金髪の演歌歌手がいても面白いじゃないですか。28歳の今だからできることをもっとやってみたいと思って、『ロンリー・ジェネレーション』の楽曲をいただいたタイミングでハイトーンにしました。髪色を変えたことで、今の普通の28歳になれたような感覚もあるし、演歌とポップスの間にある距離も少し縮められた気もしています。

——仕事以外で夢中になっていることは?

登山です。今年は標高0メートルから富士山頂を目指す「ゼロ富士」に挑戦しました。3日間かけて登ったんですけど、初日だけで約28キロ歩くので、めちゃくちゃしんどかったです。でも、登山って人生や歌手活動と重なるんですよ。標高0メートルがデビューした日だとすれば、ストリートライブをしていた頃は一合目、二合目くらいだったのかな、とか。山には登り切った人にしか見えない景色があって、それは仕事も同じ。ハイトーンへのイメチェンも、コンサートで初めてミュージカル曲を歌ったことも、挑戦したからこそ見られた景色がありました。そして、苦しさを乗り越えた先で、大きな拍手や皆さんの笑顔に出会えると「やってよかった」と思えます。登山はすごいメンタルを鍛えられるというか、あれを乗り越えられたから、仕事の壁も乗り越えられるだろうみたいな感じで、すごく自分の中の勝手な自信につながってますね。 

——今後、歌手として発信していきたいことは?

同年代の方に、演歌の魅力をもっと届けたいです。演歌はご年配の方が聴くものというイメージがあると思いますが、実際に聴いてみると、「こんなことを歌っているんや」と驚く歌詞もあるし、こぶしの面白さもある。僕が氷川きよしさんに憧れたように、いつか僕を見て、「演歌歌手になりたい」と思ってくれる子が現れたら、すごく幸せですね。

——では最後に、今、夢を追っている10代の皆さんへメッセージをお願いします。

僕は、諦めないことがすごく大事だと思っています。周りの目が気になったり、自分が歩いている道はほかの人と違うと感じたりすることもあると思います。僕自身、演歌を歌っていることを恥ずかしいと思った時期もありました。でも、人と違うことは決して恥ずかしいことではなく、自分にしか歩めない道があるということ。その道を諦めず、希望と自信を持って進んでいけば、いつか夢は叶うはずです。人と違うことを誇りに思って、自分の夢を追いかけてほしいです。

辰巳ゆうと(たつみ・ゆうと)

1998年1月9日生まれ、大阪府出身。祖父母の影響で小さいころから演歌を聴いて育つ。2018年TBS「第60回輝く!日本レコード大賞」では『最優秀新人賞』を受賞。また2023年 TBS「第65回輝く!日本レコード大賞」では『日本作曲家協会選奨』を受賞。翌2024年「第66回輝く!日本レコード大賞」では「迷宮のマリア」が『編曲賞』に選ばれ、2年連続「日本レコード大賞」に出演。演歌の枠にとらわれないハイトーンヘアとキラキラ衣装もトレードマーク。その甘いルックスと爽やかな笑顔、確かな歌唱力で“演歌界のプリンス”と呼ばれ、幅広い年齢層のファンを魅了、生きる糧になっている。2026年9月9日に10thシングル『ロンリー・ジェネレーション』をリリース。

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