HYSTERIC GLAMOURが夢を実現するためにチャレンジをしている世代に、現在地や未来への展望、将来像をインタビュー。ティーンエイジャーの頃思い描いた夢、憧れをはじめ、今現在の達成度、ここまでの挫折、苦悩、さらに今後の目標や挑戦を掘り下げます。第6回は「エロがんな」の名言で知られるアーティスト、爆撃竜馬さんが登場。普段からヒスを愛用する爆撃さん念願のモデルデビューにもご注目ください!
——本日はよろしくお願いします!
よろしくお願いしマングース!

——撮影はいかがでしたか?
「やべえ、ガチで夢叶ったぜっ」て感じっす! ヒスグラはもともと大好きで、ずっと周りにも、「いつか絶対ヒスグラのモデルやりたい」って言ってたんすよ。俺、夢を紙に書いて部屋に貼ってるんすけど、武道館でライブするとか、アリーナに立つとか、いろんな夢があるなかのひとつに、「ヒスグラのモデルになる」ってちゃんと書いてあって。だから今日、天気は曇ってたっすけど、俺の心はめちゃくちゃ晴れてました(笑)。シャイニングドリームじゃん、みたいな。半端ねえなって。撮影中、道端でおばちゃんにも話しかけられましたから。たぶん俺の太陽が漏れてたんでしょうね。おばちゃんもそんな俺見てエロがってました。

——HYSTERIC GLAMOURとの出会いを教えてください。
存在自体は知ってたんすけど、それまでずっとサッカーしかやっていなかったから、おしゃれとか全然興味なくて。大学に入って私服を着るようになったら、俺マジで鬼ダサやったんすよ(笑)。それで当時サッカーを一緒にやってた友達に「買い物連れてったるわ」って言われて、服を見に行った先でヒスグラに出会いました。見た瞬間、めっちゃ好きかもってなったんすけど、金がないから買えなくて。歌をやるために東京へ出てきてから、六本木店でパーカとダウンジャケット買ったんすけど、人生で初めて、ちゃんと金を貯めて買おうって思った服やったすね。今思うと、あれが俺とヒスグラの本当の始まりっす。
——サッカーばかりやってたという10代を振り返ると、どんな少年だったと思いますか?
10代前半の俺はもう地元を出ることしか考えてなかったっす。生き方そのものが“地元を出る”やったと思います。0歳から施設で育って、11歳くらいで親父に引き取られたんすけど、その親父が暴走族の総長で、毎日ボコボコにされて……。ディープな話になっちゃうっすけど、寝ている親父を殺そうと考えたこともあるし、自殺未遂したこともあるんすよ。だから当時は、県外に出られるなら何でもいいみたいな感じで、その手段のひとつがサッカーやったすね。小学生のとき、サッカー部のヤツが「中学で活躍して県外の強豪校に行く」みたいな作文を読んでるのを聞いた瞬間、“え、サッカー本気でやったら家から出られるやん!”って思って。そこから、家の前に公園があったんで、毎日そこでボールを蹴りまくって、ガチ3時間睡眠くらいでバチバチに練習したんすよ。
——その脱出計画はうまくいきましたか?
うまくいったっすね〜。めちゃくちゃ練習した甲斐があり、九州の中でもトップクラスに強いクラブチームが地元にあって、そこから声をかけてもらったんすよ。キャプテンもやらせてもらったし、全国大会で得点ランキング2位になったりもして。まあ、当時は夢を追いかけてたっていうより、脱出計画を成功させるためにガチで必死やったんす。で、気づいたら、本当に県外へ行けるところまで来てたっすね。

——サッカー一筋だった人生が変わったきっかけを教えてください。
その後、サッカーでプロ確定みたいな大学にも進学したんで、プロサッカー選手になるつもりやったんすよ。監督にも期待してもらっていたし、自分でもその道に進むんやろうなって。でもちょうどのその頃、大学の友達が彼女と別れてチケット一枚余ったからって、三代目 J SOUL BROTHERSのライブへ行くことになるんすけど、そこで人生変わったっすね。『Born in the EXILE』という曲を聴いてたときに、”人生に絶対無駄なことなんてひとつもない”っていう歌詞がぶっ刺さりすぎてその場で号泣しちゃって。確かに人生に無駄なことなんてなにもねえわなって。俺もこうなりてぇと思って、ライブ終わってからその日のうちに監督に電話したんすよ。「サッカー辞めます」と。
——そこから東京へ?
そうっす。次の日、監督に怒られるのもわかってたんで、みんなが練習してる時間にこっそり大学へ行って、ちゃちゃっと退学届出して、ちゃちゃっと荷物まとめて(笑)。で、1か月分くらい東京へ行くお金をバイトで貯めて、そのまま上京したんすよ。でも東京に着いたときは、移動費とかでほぼお金なくなっちゃって600円くらいしか残ってなかったっすけど。知り合いもいないし、行く場所もないし、とりあえず六本木行くかみたいな(笑)。
——音楽活動はどう始まりましたか?
それが面白くて、その日に六本木でスカウトされたんすよ。歌じゃないっすよ、キャバクラのスカウトマンで(笑)。お金もなかったんで、“とりあえずやるか”くらいのノリで始めたんすけど、ありがたいことにめっちゃ結果が出ちゃって。そこで一気に金貯めて、その資金で音楽活動を始めったすね。経験もないのに「曲作ったるわ!」と勢いで(笑)。自分で曲書いて、自分でライブハウス押さえて、自分でライブやってました。最初なんて100人入る会場で、お客さん2人っすからね(笑)。でも次は20人、その次は150人、その次は300人って、マジでどんどん増えていったんすよ。
——そこから歌手としての活動が始まるんですね。
そうっすね。ライブを続けてたら、シンガーソングライターの大会を主催してる方から「大会に出てみないか?」と声をかけてもらったんすよ。“マジ?”と思いながら出たら、そのまま勝ち上がって優勝しちゃって(笑)。そこからいろんな話をいただいたんすけど、その中でダンス&ボーカルグループのプロデューサーさんと出会って、“この人についていきたい”って思ったんすよね。それでグループに入ったら、3か月くらいでレコチョク1位獲って、横アリにも立たせてもらって。あの景色見た瞬間、“あ、もう歌辞めらんねえわ”って思いました。
——でも、夢に近づいていたはずなのに、グループを辞めてしまった……?
横アリの景色はマジで最高やったんすよ。でも活動を続けていくうちに、“なんか俺がやりてぇ音楽と違うな”って思い始めちゃって。追加メンバーもどんどん入ってきて、グループとしての方向性も変わっていったんす。もちろんめっちゃ楽しかったんすけど、やっぱり俺は一人でやりたかった。自分の思いを、自分の言葉で届けたかったんすよね。だから辞めました。今思えば、めちゃくちゃありがちな理由なんすけど(笑)。

——そこからなぜホストに?
グループを辞めたその日、渋谷のスクランブル交差点のTSUTAYAの上にあったスタバで、これからどうしようって考えていたら、目の前をホストの宣伝トラックが通ったんすよ。ギャンギャン音鳴らしながら(笑)。その瞬間、“これや!”って。で、すぐ調べて、その日のうちに面接に行って、その日のうちに働き始めました。その時点で、俺の中ではホストになりたかったわけじゃなくて、知名度をつけるための手段だったんす。名前を売って、ソロで音楽いったるわって!
——実際にホストを始めてみてどうでしたか?
ありがたいことに、めちゃくちゃ自分に合ったんすよね。ABEMAの番組『愛のハイエナ』に出る前は別のグループにいたんすけど、歴代最速みたいな記録を作り、すぐ幹部になって店舗展開にも関わらせてもらったりして。でも本来の目標じゃないからどうしようかなと思っていた矢先、エルコレ(40店舗以上展開しているホストクラブブランド)の軍神(心湊一希:エルコレのプロデューサー兼ホスト、実業家)と出会ったんす。そこでいろんなことを話して、“歌手に戻りたいからそのためにしかやらないっす”っていうのを伝えて移籍しました。
——『愛のハイエナ』を通して一躍時の人になった印象があります。歌手という明確な目標がありながらも、ホストとしてどんどん知名度も上がっていく。当時はどんな心境でしたか?
実はそこで初めて、“俺って調子に乗るタイプじゃないんだな”って気づいたんすよ。ホストって売上が上がると、やっぱりどこかで“俺すげえ”ってなりがちで。俺もそうなっていた時期はもちろんあるんすけど、でも番組に出てからは、逆でした。お姫はじめ、まわりの人たちに感謝しか出てこなくなっちゃって。編集してくれる人もいるし、番組を作ってくれるスタッフさんもいるし、それこそさらば青春の光さんとかニューヨークさんが拾ってくれるから、俺って面白く見えてるんやなって。
——考え方も変わりましたか?
めちゃくちゃ変わりましたし、なんなら売り方まで変わったっすね。煽らなくなったんすよ。そうじゃなくて、その人が応援してくれる対価以上のものを返したいって思うようになって。だから俺の中ではずっと“姫感謝”。壇上でもお姫の話になると毎回泣いちゃってましたし、インタビューでも泣いてましたからね。今思うと、自分にとって本当に必要な時期だったんやなって思います。鼻が折れたんですよ。折ってくれたのがABEMAです。

——今年の3月に完全にホストも引退し、事務所からも退社、アーティストとして新たな道を歩んでいますよね。いつも曲はどうやって作っていますか?
降りてくるんすよ、マジで(笑)。『いとエロし』っておもろいよな、『乾杯ンザスカイ』ええなとか、そういう言葉がポンッて頭に降りてきて。歌詞が来たらメロディもついてくるし、逆にメロディが先に浮かんだら歌詞が後から勝手についてくるんで、今ボイスメモがすごいことになってて、(スマホを確認して)146曲くらいストックあるっす(笑)。
——どういうときに曲が降りてくることが多いですか?
シーシャ吸ってるときっすね(笑)。シーシャって、空間も流れてる音楽もチルいじゃないっすか。ああいう空気の中にいると、自然とそういうモードに入るんすよ。だから思いついたらすぐボイスメモっす。
——これまでのお話を聞いていると、思い立ったらすぐ行動に移されていますよね。逆に挫折して落ち込んだり、何もできなくなった経験はありますか?
俺、本当に挫折がわかんないタイプなんすよ。よく『失敗して心折れました』みたいな話を聞くんすけど、その感覚があんまりわからなくて。行きたい場所があるんだったら、そこに着くまでやりゃあいいじゃんっていうタイプっす。

——今後の夢や展望を聞かせてください。
来年は絶対にZeppに立ちます。アニメの主題歌もやりたいし、武道館、アリーナ、レコード大賞、新人賞。これ部屋に全部貼ってるんすけど、そこに書いてあることをシンプルに一個ずつ叶えていくだけっすね! でも、一番叶えたいのは別にあって、『日本一ファンを愛した歌手』って言われたい。ライブでもずっと言ってるんですけど、それが俺のモットーなんすよね。歌がうまいとか、売れてるとかももちろんうれしい。でも一番ほしい称号は、『あの人、本当にファンを大事にしてたよね』って言ってもらえることっす!
——具体的には?
正直、どうやったら『日本一ファンを愛した歌手』って言われるのかは、まだわかんないんすよ。でも、ライブで応援してくれた人たちには、自分の活動で得たものをちゃんと返したい。例えば、その年のライブに来てくれた人の中から何人かの夢を応援するとか、その夢に俺がお金を出すとか。そういうことを本気でやりたいんす。あと、最終的には施設というか、“家”って呼ばれる場所を作りたい。俺も施設で育ったから、行き場がない子とか、捨てられた子とか、そういう子たちがちゃんと夢を持てる場所を作りたいし、夢を叶えるところまで責任を持ちたい。そのためなら、お金は全部使ってもいい。俺の人生の最終的な着地点は、そこなんすよ。
——本当に素敵な夢ですね。尊敬します。
尊敬しないでください(笑)。こんな語尾に『インザスカイ』とか『オンザフューチャー』とか、ようわからん言葉いっぱいつけようとしている男っすよ(笑)。そんな人尊敬してどうするんすか。尊敬インフィニティ?(笑)

——最後に、10代で夢を追いかけている人たちへメッセージをお願いします。
『人生は、こなすな。かませ。』 俺が歌を始めるときもそうだったっすけど、『ホストなんだから無理だろ』って貶されたり、止められたりして、夢を追いかけると潰そうとしてくるヤツって絶対いるんすよね。だから何かを始めるときは、自分に問いかけるんです。“あれ、今こなそうとしてない?”“それかませてんの?”って。周りに合わせて、言われたことをただやってるときって、結局“こなしてる”だけなんすよ。でも、自分が本気でやりたいことに挑戦してるときって、“かましてるな”って自分でわかる。だから夢を追うなら、人の顔色を見て人生をこなすんじゃなくて、自分の人生を思い切りかませよ!

爆撃竜馬(ばくげき・りょうま)
既存のジャンルに縛られない音楽性と圧倒的なステージパフォーマンスで注目を集めるアーティスト。歌舞伎町ホスト時代に出演したABEMA TV『愛のハイエナ』を通じ認知を得ると、そのルックスとサービス精神旺盛なキャラクターで幅広い層から注目を浴びる。独特の言い回しやセリフにセンスが光り、「エロがんな」の名台詞でも知られる名言製造機。現在はシンガーソングライターとしてライブを中心に活躍。『乾杯ンザスカイ』、『エロがんな』、『Enjoy Music』など楽曲は各音楽配信サービスにて配信中です。
【OFFICIAL SITE】
【X:@ryo_ma_official】
【Instagram:@bakugeki_ryoma_official】
【TikTok:@ryo.ma.official】
▼STAFF
photography_YURI HORIE
styling_KEITA UCHIDA
hair & make-up_Kanako[TRON]
text_MIHOKO SAITO
▼着用クレジット
SPEAK NO EVILジャケット¥44,000、中に着たLEOPARD柄ジャガードスタッズカーディガン¥49,500、タンクトップ¥9,900、HYSTERIC DAYS 50’S XXストレートデニムパンツ¥59,400、STUDSベルト ¥27,500、ウォレットチェーン ¥29,700/以上すべてヒステリックグラマー、サングラス/本人私物、ネックレス/スタイリスト私物
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