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Teenage Dream
VOL.4 颯希(SATSUKI)

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HYSTERIC GLAMOURが夢を実現するためにチャレンジをしている世代に、現在地や未来への展望、将来像をインタビュー。ティーンエイジャーの頃思い描いた夢、憧れをはじめ、今現在の達成度、ここまでの挫折、苦悩、さらに今後の目標や挑戦を掘り下げます。第4回は日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE」のチーム、「KADOKAWA DREAMS」所属のプロダンサー、颯希(SATSUKI)さんです。

——颯希(SATSUKI)さんは、普段から個性的なファッションをされていますが、服に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?

中学2年生の頃ですね。それまでは本当に無頓着で、着られたら何でもいいや、みたいな感じでした。きっかけは、当時通っていたスタジオを卒業して、別のスタジオに移ったこと。新しい場所で、友達も先生も知らない人ばかりだったんですけど、そこで流行っていたのがLAスタイルみたいなファッションでした。キャップをかぶってシャツを腰に巻いて、みたいな格好をみんながしていて。自分だけ着ている服が違うなって気づいたことで、服に興味を持ち始めました。

——ファッションに興味を持つようになって、最初に買ったアイテムは覚えていますか?

MISHKAのTシャツだったと思います。その頃は自分で使えるお金も全然多くなくて、可愛いなって思うものがあっても手が出せなかったし、買えたとしても小物ひとつくらい。それでも、少しずつ変えられたらいいなって思っていました。なので、そのTシャツは当時の自分からすると結構高い買い物でした。

——そこから徐々に今のスタイル(ダボッとシルエットに足元はボリュームシューズ)が確立していったんですね。

確立されているかは正直わからないですけど(笑)。普段ワイドなパンツを穿くことが多いので、それに合う靴を選んでいったら、自然とボリュームのある靴が増えてきた感じです。今日のスタイリングに合わせた私物の靴はBROWNSというブランドのものなんですけど、5〜6年前にお世話になっていた先輩が誕生日プレゼントでくれたのをきっかけに知って以来、何足も購入しています。

——では10代の頃のお話を聞かせてください。まず、ダンスを始めたきっかけは?

小さい頃、地域のサッカーコミュニティに参加していたんですけど、ボールを蹴るリズムが悪いとコーチから言われたんですよ。それを聞いた母親が、「リズム感を鍛えるならダンスじゃない?」と、近くのスタジオに通わせてくれたのがきっかけです。ちょうど年長さんの頃ですね。当時は母の影響で山下智久さんに憧れていて、俳優になるのが夢でした。毎日のように母と一緒に山Pの映像を観て、プロダクションにも所属して演技のレッスンを受けたりして。たくさん習い事をしていたなかでも、サッカーとダンスは特に楽しくて、小学3年生まで両立していました。

——ダンス一本に絞ったのはいつ頃ですか?

小学5年生の頃ですね。当時通っていたスタジオでチームを組むことになって、僕が年齢が一番上だったこともあってリーダーを任されたんです。そこで火がついたんですよ……親に(笑)。僕は本当に受動的な子だったので、母に 「あなたがやらなきゃ誰もやらないんだから!」って、かなり尻を叩かれていました。

——そのとき、ダンスをするのが嫌になりませんでしたか?

めっちゃ嫌になりました(笑)。でも、地域のお祭りに出演したときに、チームみんなで成し遂げた感覚がすごく楽しかったんです。心が折れずに続けられたのは、その経験が大きかったと思います。結局そのチームでダンスの世界大会にも行ったんですよ。小学6年生のときにオーストラリアに行ったんですけど、そこで世界にはこんなにもたくさんのジャンルのダンスがあるんだと気づいて。それまで通っていたスタジオでは一人の先生からしか習っていなかったので、もしかしたらもっといろんなことができるかもしれないと思って、帰国後にスタジオを変えました。

——それが、生徒がLAスタイルのファッションをしていたスタジオですね。

そうです。当時、ダンス甲子園で活躍していたNO LUCKというチームが地元の名古屋にいて、ロボットダンスのような動きがすごくかっこよかったんです。その話を歯医者さんにしたら、たまたま知り合いだったみたいで、彼らのいるスタジオを紹介してもらいました。ただ、せっかく入ったものの、すぐに挫折しそうになって……。振りを覚えるスピードも、使う音楽も、全部が今までと違うし、周りのレベルが高すぎて、何が正解かわからなくなっちゃったんです。もうやめたいと思いながらも、必死にしがみつくしかなかった。ただ、そのスタジオはアメリカのフリー・ブギーというタット系のダンサーとつながりが深くて、スタジオに来て教えてくれたり、そのつながりで海外の先生が来たりと、すごく刺激的な環境でもありました。いつかアメリカに行ってみたいと思うようになったのもその頃です。

——その後、実際にアメリカへ?

はい。最初は高校生のときでした。黄帝心仙人さんがアメリカでショーをすることになって、そのときに一緒に行かせてもらって、2週間のダンスキャンプに参加したんです。その2週間は、知らない人たちがたくさんいる環境で、外部の人たちと交流したり、レッスンを受けたりして、「海外のレッスンってこんな感じなんだ」っていうのを体感する時間で、正直そこまで深く考えられていなくて。そして最初の渡航から一年後くらいに、今度は1か月間行く機会があったんですよ。そのときに「どうやったらこの中で存在感を出せるんだろう」とか、「日本人であることをどう表現できるんだろう」って考えるようになりました。

——そのときの経験について教えてください。

フリー・ブギーさんが、日本各地でワークショップオーディションをやっていて、そこで選ばれた13〜14人くらいで、1か月間アメリカに行きました。言い方はよくないですけど、本当に監禁状態でした(笑)。毎朝5時起きしてランニングから始まって、走り終わった子から朝食を食べながら昼食を作る。そこからリハーサルをして、作った昼食を車の中で食べながら別のスタジオに移動して、夜8時くらいまでまたリハーサル。帰ってきて夜ご飯を作るメンバーとダンスを踊るメンバーに分かれて、23時ぐらいまで練習して……。‎それでまた翌日も5時起きです(笑)

——ハードですね。しかも異国の地で!

今までの人生を振り返っても、あのときが一番きつかったです(笑)。これから先、何が起こっても平気だと思えるくらい、辛い経験でした。とにかく先生がめちゃくちゃ怖くて、基本的に動きは一度説明するだけなんですよ。「見て覚えてるのが当たり前だよね」って、それを英語で言われるので、本当に怖くて。当時は英語もちゃんと理解できる年齢じゃなかったので、余計にきつかったです。通訳の方もいたんですけど、なんならその人が一番怖かった(笑)。日本からお米を持って行って、自分たちで研いで炊いてたんですけど、お米を一粒でも落としたら怒られて。「お米、誰が買ってくれたの?親でしょ」「この旅費、誰が出してくれたの? 親でしょ」と、ダンスだけじゃなくて、生活そのものも含めて向き合わされていた感じでした。

——当時、すでにダンサーとして生きていくと考えていたのでしょうか?

クリス・ブラウンのバックダンサーになりたいと思っていました。アメリカに興味を持ち始めたのをきっかけに、海外の曲を聴くようになったんですけど、そこからもうずっとクリス・ブラウンの曲しか聴かないくらい、ドハマリしていて(笑)。いつか僕も世界をまわるダンサーになりたいなと思っていましたね。

——高校卒業後の進路についてはどう考えていましたか?

語学系の大学に進むか、それともいっそ留学して飛び込んでしまうか。その選択で、当時はかなり迷っていました。最終的に、高校を卒業してから一年間アメリカに行こうと決めたことが、自分にとっては大きな転機だったと思います。留学中は、昼間は語学学校に通って、15時くらいに終わるとそのままスタジオに行ってレッスンを受ける生活でした。日本人で、体も小さい自分が、体格の大きい海外のダンサーたちの中で、どうやって存在感を出していくのか。正直、がむしゃらでしたし、諦めない気持ちだけで食らいついていたと思います。そのときに身についた感覚は、今の作品作りにもすごく生きています。音を聴いて頭で考え込むより、まず体を動かしたほうが、結果的に作品が早く形になる。あの一年で、そういう自分なりのスタンスがはっきりしました。

——海外生活で大変だったことはありますか?

留学中はずっとシェアハウスで、ほぼプライベートがない状態でした。結構な人数で住んでいて、部屋も6人部屋、4人部屋、2人部屋があって、同居していたのが全員海外の人だったんです。中には、生活リズムが真逆の人がいたり、夜中に大音量で音楽を流したり、キャンドルをつけっぱなしにしたり、フライパンを洗わないで放置したりする人もいて……。一緒に生活するうえで、それはないでしょってことが重なって、最終的には英語でちゃんと喧嘩しました。

——英語で喧嘩するって、相当ですね。

普段はあまり感情を剥き出しにするタイプじゃないんですけど、そのときばかりは(笑)。最初の3ヶ月こそ英語もかなりたどたどしくて、頭の中で日本語に変換してから英語にしていたんですけど、しばらくすると英語で聞いて英語で返せるようになってくるんですよ。意味がわからない単語があっても、ニュアンスで理解できるようになったり、気づいたら夢も英語で見たりして。生活そのものが、英語の勉強になっていたと思います。今は忘れてる英語も多いですけど(笑)、あの一年は、ダンスだけじゃなくて生き方そのものに影響を与えてくれました。若いうちに海外へ飛び込む経験って結構重要だなと、僕はこの人生を通して思いますね。

——留学中はちょうど、世界が大きく変わる時期でもありましたよね。

そうですね。2019年の5月にアメリカに行って、2020年の7月に帰国したんですけど、コロナだったりBlack Lives Matterの動きが一気に重なって、本当にすごい状況でした。ロックダウンで、通っていた語学学校もスタジオもショッピングモールも全部閉まっちゃって、外に出られるのはスーパーに行くときくらい。アジア人なので、差別的な視線を感じることもあって、フードを深くかぶってできるだけ目立たないようにして生活していました。

——その時期に颯希(SATSUKI)さん自身も変化はありましたか?

TikTokを始めたことですね。コロナをきっかけに、留学の時期が被っていた日本人の友達も、仲良かったルームメイトもみんな国へ帰っちゃったんですよ。正直、めちゃくちゃ暇でした(笑)。それで唯一、一人だけ残っていた日本人の友達がいて、彼と一緒に動画を撮って配信することにしたんです。僕はスマホひとつしか持ってなくて、パソコンもiPadもなかったので、動画を撮って編集するのがすごく大変だったんですけど、TikTokなら音を流して、そのまま自分を撮って投稿できる。それが大きかったですね。そこからもうひたすら撮って、多いときは1日に10本以上投稿することもありました。最初は「これ、バズったら続けよう。バズらなかったらやめよう」みたいなノリで撮っていたんですけど、本当にバズったんです。当時はTikTokはダンサーがほとんど手をつけていなかったのもあったかもしれませんが、そこから一気に流れが変わりました。5日間でフォロワーが10万人増えたりして。そんな世界線あるんだって思いました。

——颯希(SATSUKI)さんがダンスを通して伝えたいことは何ですか?

今って、何がリアルで何がフェイクかわかりづらい時代じゃないですか。AIでもいろんなものが作れちゃうし。その中で、自分は何を“リアル”として表現できるんだろうって、よく考えます。誰しも今の自分にしかできない役目があると思っていて、それをちゃんと果たしたい、みたいな気持ちがずっとあるんです。僕は、スタイル的にもどこか歪んでいるというか、バグっぽい動きだったり、視覚的に「ん?」って引っかかるものを表現するのが好きなんですが、それって“普通”という概念を壊したいという感覚にも近いのかもしれません。僕の普通は僕の普通で、他の人の普通はまた別ですよね。本来、人それぞれ普通は違うはずなのに、世の中には「これが当たり前」「これが社会のルール」みたいな、見えない縛りがたくさんある。でも、もう少し自分の心に従って、自由に楽しんでもいいんじゃないかなって。そういう感覚を、ダンスを通して伝えていきたいです。

——では最後に、今夢を追っている人へのメッセージをお願いします!

僕が10代の頃、親や先輩からかけてもらった言葉で、今でも強く残っているのが“言われるうちが花”です。自分のことを考えてくれているからこそ厳しく言ってくれるんですよね。その存在は、本当に大切にしたほうがいいなと今になって思います。時にはどうしても人の目を気にしてしまうこともあると思います。どう見られているかとか、SNSでも「これは絶対バズる」と思って出したものが、全然バズらなかったり(笑)。でも、人生ってそういうことのほうが多い。だから、あまり期待しすぎずに、とにかくアウトプットし続けてほしいです。その中で、ちゃんと見て評価してくれる人は必ずいるし、そういう人たちを大事にしてほしい。表に出ていなくても、陰で見てくれている人は絶対にいます。そしてチャンスは自分でつかみにいくもの。もしかしたらつかみに行くときにお金の問題にぶつかることもあるかもしれません。でも僕は、親から言われた「お金は後でついてくる」という言葉を今も大事にしています。まずは挑戦して、受かったらそのときに考えればいい。経験は投資だと父が教えてくれました。それと、“何が正解か”に縛られすぎなくていいと思います。失敗は次につなげられるし、不正解はありません。あとから振り返ると、遠回りに見えた経験が自分の軸になっていることも多かったり。だから、人の目や数字を気にしすぎず、自分の心が赴くほうに素直でいてほしいです。何が自分を幸せにするのかを大事にしながら、夢に向かって進んでいってほしいなと思います。

颯希(SATSUKI)

さつき_2000年8月生まれ、愛知県出身。日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE」のチーム、「KADOKAWA DREAMS」所属のプロダンサー。21-22 SEASON ROUND.12、22-23 SEASON CHAMPIONSHIP、23-24 SEASON ROUND.2、23-24 SEASON CHAMPIONSHIP、24-25 SEASON ROUND.13にてMVDを獲得。6歳からダンスを始め、 機々なオーディションを受けAIや湘南乃風、BTSなどの名だたるアーティストのバックダンサーを経験後、19歳のときにLAに単身でダンス留学。留学中だった2020年4月に始めたTikTokの毎日投稿を今も続け、120万人ものフォロワーを獲得している。

▼STAFF
photography_YURI HORIE
styling_ Yoh U[TRON]
hair & make-up_KAHO SUMI
text_MIHOKO SAITO

▼着用クレジット
ルーズストレートパンツ ¥57,200、ホッケーシャツ¥33,000、ビーズストラップ ¥29,700 /以上すべてヒステリックグラマー
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