HYSTERIC GLAMOURが夢を実現するためにチャレンジをしている世代に、現在地や未来への展望、将来像をインタビュー。ティーンエイジャーの頃思い描いた夢、憧れをはじめ、今現在の達成度、ここまでの挫折、苦悩、さらに今後の目標や挑戦を掘り下げます。第3回はたしかな演技力と華やかなビジュアルで注目作品への出演が続く俳優、醍醐虎汰朗さんです。
――醍醐さんが俳優を目指したきっかけを教えてください。
「中3のころ、“俳優になりたい”という強い意思というよりは、高校に進学するまでの暇な時間に”バイト感覚で何かできないかなー”という気持ちだったんです。そのころに観た『クローズZERO』の小栗旬さんがかっこよくてすごく好きで、憧れを抱いたのが大きかったです。友達と原宿とかを歩いているとたまに声をかけてもらうこともあったりで、たぶんちょっと調子づいてたんですよ、“オーディションとか送ったら受かるんじゃないかな~”とか(笑)。で、初めに受けた今の事務所のオーディションで決まりました。それまではサッカーに熱中していて、高校進学も決まってたんですけど、都の代表止まりで、関東代表、ましてや日本代表には到底無理だろうなって感じていて。このままサッカーで高校に行くより、新しいことに気合を入れて挑戦してみようかな、とも思っていました。」

――振り返ると、どんな10代だったと思いますか?
「うーん……。たぶん早く大人になりたかった気持ちもあって、同世代に比べると尖っているほうだったんじゃないかなと、今振り返ると思います。初めてのお仕事は16歳のとき、2.5次元舞台『弱虫ペダル』の主演からスタートしたんですけど、最年少で真ん中をやらせていただいたので、“なめられないようにしないと!”っていう気持ちが強かった時期だと思います。当時GACKTさんにも憧れていたんで、タイトなTシャツと細身デニムをはいて、人の倍くらい遅く歩いてたりしました(笑)」
――大人見え効果はありました……?
「たぶん、あったんだと思いますよ(笑)。今でも結構いじられます、“あのときなんだったの?”って。自分が一番かっこいいと思って、部屋のなかでも常にサングラスをつけてましたから」

――では、10代で「この瞬間が転機だった」と感じる出来事はありました?
「……転機だけに『天気の子』かな(笑)。本当にその辺から結構いろいろ変わった気がしますね。第一線でご活躍されている方たちと肩を並べて仕事をさせてもらって、先輩方の仕事に対する向き合い方を間近で学んだり、とんでもない媒体数のプロモーション活動を経験させてもらったりと、いろんな“初めて”が詰まっていましたね」
――19歳のころですね。仕事を始めたときより、俳優像への変化はありました?
「明確にはなかったんですが、その頃から“現場にいる人たちに認められる芝居ができる俳優になりたい”と思うようになりました。先輩方のお芝居にすごく感銘を受けて、同業者から見て、いい芝居とか、うまい芝居だなと思ってもらえるように、手に職をつけるような感覚でやっていきたいなっていう想いは、ずっとありましたね。」

――目標となる方が身近にいたんですか?
「神木(隆之介)さん、(村上)虹郎さん。僕と身長がそんなに変わらない方を意識してみるようになりました」
――初舞台で主演、その後話題作への出演も続きました。ご自身ではどんなところに強みを感じていましたか?
「根拠のない自信みたいなものはめちゃくちゃ持っていたかもしれないです。自分の強みとか何も分かんないまんまでも、何でもできる気がしていた10代だった気がしますね」
――そこから挫折を味わう瞬間もありましたか?
「そうですね。舞台から映像作品にも取り組むようになったころ、最初は舞台芝居が抜けなくて、オーディションで悔しい思いをすることが多かったです。そういうときは自分の強みと弱いポイントと向き合って、仕事に合わせて調整していくような作業でした。周りの方たちと比べたら全然何もできなかったから、“僕、何でもやれます!”が口癖だったけど、根拠のない自信は変わらず持っていた気がします」

――俳優として「自分らしさが明確になった」と感じた作品はありますか?
「実写映画で初主演を務めさせていただいた、飯塚健監督の作品『野球部に花束を』です。この作品の現場で、飯塚さんから“お前は俳優になりたいのか、俳優部になりたいのか、どっちなんだ”と結構厳しく問いかけられました。当時はまだ質問の意味もそんなにわからなかったんですけど、説明してもらって“俳優部になりたいです!”と答えたら、“現場の居方をゼロから教えてやる”と、ベンチコートを脱ぐタイミングやカメラの前での立ち振る舞いとか、細かくご指導をいただいたんです。真冬に衣装が半袖だったんですけど“そのベンチコートを脱ぐ時間がもったいないから、とりあえずもう着るな”くらいの厳しさで。正直、そのときはしんどかったんですけど、終わってみて俳優としてのあり方というか、ベースを作っていただいたなと感じました。“調子乗んなよ”というメッセージも含めて、本当に多くのことを学ばせていただきました。自分のなかで大きかったですね」
――役を作るときは直感ですか? 台本を読み込んで作るタイプですか?
「それで言うと作品によって違いますね。例えば『千と千尋の神隠し』はキャラクターだから直感では成立しないのでどちらでもなくて、原作にいかに寄せていくかの需要と供給の作業だなぁと思ったり。逆にリアルな生っぽいトーン感だったらロジカルに組み立てていくように考えるんですけど、それでも最終的には全部を捨ててそのシーンの直感で演じることも多いです。もともとは直感型だったんですけど、事務所の後輩とかにお芝居を教える機会があって、自分の感覚を言葉にして説明しているうちに、言語化するのが得意になってきました。そういう経験もあって、今では直感でもロジックも、どっちも使いながら役を作っていくタイプになったと思います」

――舞台『千と千尋の神隠し』では日本公演をはじめ、イギリス、上海と海外公演も経験されました。感じたことはありましたか?
「ロンドン公演のときは3か月滞在していて。いい意味で人目を気にしないというか、初対面の人ともラフに接することができるようになりましたね。向こうの人たちって“Hey! What's up!”って感じだから、その環境に身を置いていて、よりフランクになったなぁっていうのは感じます」
――1月からは韓国・ソウル公演も始まりますね。
「今回は1か月半くらい行きます。寒そう……(ヒステリックグラマー「ヒスから暖かいコート、送りましょうか?」)え、ありがとうございます(笑)! 大切に着ます、もうヒスしか着ません(笑)!」
――海外で公演がある1日は、どういうルーティンになるんですか?
「上海は昼公演が多かったので、朝早めに起きてちょっとランチを食べて2時間前には劇場に入って、公演という流れで。会社に務めるとこんな感じかな?というような規則正しい日々でしたよ」

――今の醍醐さんが感じる、俳優のやりがいは何ですか?
「純粋に芝居が好きなんだと思います。以前だったらまた違った答えだったのかもしれないですけど、今はシンプルにお芝居をしてる時間が好きなのかなと。もし嫌いだったらたぶんやめていると思うんですよね。だから、やっぱり僕は芝居が好きなんだろうなって思います」
――10代の頃から今に至るまで、自分のなかに変化がありました?
「やれることも増えてきて、俳優としての考え方は年々変わってきている気がします。変わらないのは、今でもかなり気合が入ってること」

――それが消えそうになったことはなかった?
「そうですね。燃えてます。アツいほうだと思います」
――消えない理由はどんなところに?
「うちのマネージャーさんがすごいアツい人間なんです。僕を0から1にしていただいたという恩義を感じているので、最低限それを超える熱量でやらないとダメだなっていうのがありますね。それこそ10代の頃はネガティブな部分もあったけど、マネージャーさんに支えてもらってだいぶ考え方が変わりました。もちろん今でも、時々は落ちちゃうこともありますけどね」
――では最後に、今夢を追っている人へのメッセージをお願いします!
「トライアンドエラーじゃないですかね、エラーしまくったほうがいい気がします。昔は本当に何もわからなかったから、僕はエラーだらけだったけど、繰り返したからいろいろわかった気がしていて。失敗から学ぶことが大事なんだ、と思います」


醍醐虎汰朗(だいご・こたろう)
2000年9月1日生まれ、東京都出身。2017年「舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇~スタートライン~」にて3代目小野田坂道役で舞台初出演。2019年公開の長編アニメーション映画『天気の子』では主人公・森嶋帆高役を務め、第十四回 声優アワード 新人男優賞を受賞。映画『野球部に花束を』(主演)、Netflix『今際の国のアリス』シーズン3、ドラマ『ifの世界で恋がはじまる』(主演)など出演作も多数。2022年からは舞台『千と千尋の神隠し Spirited Away』にハク役で出演、2026年1月~韓国・ソウル公演中です。
▼STAFF
photography_MINAMI SAKAMOTO
styling_RIE OSHIO
hair & make-up_SUGA NAKATA
▼着用クレジット
スタジャン¥44,000、パーカ¥44,000、ロングスリーブTシャツ¥15,400、ストレートデニムパンツ¥69,300、クリーパーシューズ¥49,500、リング¥44,000/以上すべてヒステリックグラマー、ネックレス、ベルト/ともにスタイリスト私物
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