HYSTERIC GLAMOUR NFT PROJECTS 2025  HYSTERIC GLAMOUR NFT PROJECTS 2025  HYSTERIC GLAMOUR NFT PROJECTS 2025 

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INTERVIEW

写真家・坂本 陽&緒方秀美、デザイナー北村信彦が語る
写真論と『THE BEAM』

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HYSTERIC GLAMOUR のビジュアル撮影を多く手掛ける写真家・坂本 陽が、初の写真集『THE BEAM』を出版。これを記念して HYSTERIC GLAMOUR 渋谷店にてエキシビションを開催。氏本人と彼女の師である緒方秀美、そしてデザイナー北村信彦が、互いの長く深い関係を振り返りながら、それぞれのファインダーで捉えた写真論を語る。

Photograph : Yuta Fuchikami

Minami Sakamoto × Hidemi Ogata × Nobuhiko Kitamura
ロックにインスピレーションを得て
将来を志した者のシンパシー

坂本 陽(以下、坂本):

こうしてノブさんと緒方さんが揃うとアシスタント時代を思い出します。当時、お二人が撮影現場で会話されている姿をいつも傍らで見ていたので。

緒方秀美(以下、緒方):

ノブさんと出会ったのは1990年代の半ばでしたから、かれこれ30年以上のお付き合いになりますね。

北村信彦(以下、北村):

秀美ちゃんが初めての写真集を発表する前で、出版に向けて動いているときだったはず。

緒方:

初対面は芝浦にあったクラブで、共通の友人に紹介してもらって。そのときに頂戴した連絡先に電話をして、私の作品を観ていただいたんですよね。撮影した写真をコンビニで拡大コピーして、自分で何度となくページ構成を試行錯誤して、セロハンテープで綴じた手作りのダミーブックでした。

北村:

今ならパソコンにデータを取り込んで、ディスプレイ上で編集できるけど、まだそんな時代じゃなかったね。

緒方:

出版できるアテもなかったけど、駆け出しの頃はそうした手作り写真集を頻繁に作っていたんですよ。大した実績もないから、作品を観てもらって信用を得るしかなかったし、言葉で説明するより具体的な見本があったほうが相手もイメージしやすい。それを出版社に持ち込んで、既に写真も構成も決まっているので、あとはこのまま印刷しましょう!って。

北村:

電話帳みたいに分厚かったよね、それがブランキー・ジェット・シティの写真で、秀美ちゃんの作品を観たのはそのときが最初。

緒方:

私、ペニー・スミスが撮ったザ・クラッシュの『LONDON CALLING』のレコードジャケットに感銘を受けて、18歳のときに今の道を志したんです。そういう風に一枚の写真で人生を変えるくらいのカメラマンになりたい!って上京して、伊島 薫さんに師事した。20代前半はニューヨークで活動して、’90年に日本へ戻ったらバブル景気で世間が浮かれてて、何だか柔になっていると感じちゃった。あとバンドブームも起こっていて、私もロック好きではあるけどピンと来るアーティストはいないなって。

それが、あるときに雑誌の仕事でブランキーを撮ることになったんです。正直、さほど存在を知らずに現場に入ったら、ほかのバンドにはないソリッドな空気感を漂わせていて、明らかに異彩を放っていた。その日の撮影は滞りなく終えたものの、やっぱり彼らのことが気になって後日ライブに行ったんです。するとステージが衝撃的に格好よくて、私は3人のグルーブ感や鋭さ、真髄を何も写せていなかったと痛感した。もう居ても立っても居られず、私に撮らせてください!ってレコード会社に連絡したんです。けれど向こうは売り出し中のイチ推しアーティストで、こちらは名もなき若手だから門前払い。 でもめげずに、彼らのエモーションを表現できるのは自分しかいない!と勝手に思い込んで、あの手この手でしつこくアプローチを続けて、だけど一向に相手にしてもらえなかった。そうした日々のなか、とあるレストランでメンバーが食事をしている夢を見て、これは何かの暗示かもしれないと実際に足を運んだら、ドラムスの中村達也さんが本当に居たんです。千載一遇のチャンスを逃すまいと声を掛けて直談判。後日、ベンジー(ヴォーカル&ギター・浅井健一)にもお会いする機会をいただけて、ライブなどで撮らせてもらえるようになったんです。

北村:

そうして撮り始めた写真をまとめて、’95年に発表したのが秀美ちゃんの日本でのデビュー作だよね。

緒方:

ちょうど全国ツアーがスタートするタイミングだったので、みんなで1台のバンに乗り合って日本各地を巡って、ステージ外も同行して回って。感材費はもちろん基本的な旅費も自腹で何とか捻出しながら1年間をかけて膨大の数を撮って、暗室にこもって自分で現像して、トータルで1万枚くらいはプリントした。そういう時期にノブさんと知り会えたんです。当然それ以前から HYSTERIC GLAMOUR は知っていたし、ロックカルチャーと親密なブランドで、写真家をフィーチャーされていることも知っていました。ファッションデザイナーであると同時にマルチクリエイターという認識でいたので、絶対に見ていただきたかった。

北村:

ウチが ’93年にから森山大道さんの写真集『Daido hysteric』シリーズを出版して、全国紙の新聞でも大きく取り上げられて、海外でも話題になった頃だよね。それで秀美ちゃんのように若手のカメラマンが訪ねて来てくれるようになった。本当にいろいろな人が会いに来てくれて、今では日本を代表する写真家になった人も多いよ。

僕は洋服を生業としているけど、そもそもはファッションデザイナーを目指していたわけでもなくてね。13歳からロックに傾倒して、ミュージシャンからさまざまなカルチャーを知って、歌からいろいろなメッセージを覚えて、ファッションにも興味をもった。レコードジャケットからグラフィックや写真に興味をもって、その服装からファッションを学んできた。そういう彼らといつか絡みたかったし、自分が何になれば一緒に仕事ができるかを考えてた。そこから生まれたのが HYSTERIC GLAMOUR なんだよ。

そこが出発点のブランドだから、雑誌ごとに決められたレギュレーションや “ ファッション写真ってこういうもの ” みたいな世の中にある思い込みが僕は嫌だった。さらに言うと、彫刻のような “ いかにも ” な男性モデルも苦手だった。それよりもストリートで擦れているけど、個性が感じられて、絵を描いているとか音楽をやっているとか、そういう連中に惹かれるんだよね。

緒方:

私も同じように、思春期の頃にロックから言語や世界政治を学び、ロックからアートに触れました。ヒプノシスが手掛けたレコードジャケットとか凄く格好いいし、そういうところから多大な影響を受けきたので、とても共感します。

北村:

秀美ちゃんが収めたブランキーの写真からは、僕が思い描くそういう匂いが充満していてシンパシーを感じた。この子の目線で切り取ってもらえれば、何かと制約があっても枠に収まらない強いインパクトを出せると思ったし、さっそく仕事を依頼したんだよね。まずは雑誌のブランド特集でお願いして、以降ことあるごとに撮ってもらった。ほかにも海外のミュージシャンが来日するときに HYS とのコラボ撮影のリクエストがあったり、何か日本で撮りたいオファーがあったりして、たびたび秀美ちゃんを起用してきたよね。

緒方:

ジョン・スペンサーと、彼の奥さんのボスホッグのクリスティーナ・マルティネスとかね。

北村:

’90年代〜2000年代に、最も一緒に仕事をしたカメラマンは秀美ちゃんだと思う。それである頃からアシスタントとして現場にやって来たのが陽ちゃんだった。あれは何年くらいだっけ?

坂本:

ハッキリとは憶えていませんが、10年以上も前ですね。

北村:

ウチが ’13年から定期発行しているタブロイドカタログの初期は、ずっと秀美ちゃんに担当してもらっていて、そのほか雑誌の HYS 特集だったり、あらゆる撮影をお願いしてた。そういう撮影の合間に2人でよく喋ってたよね。2人とも話が長いから。でいつも陽ちゃんは横で静かに聞いていたよね。まさしく今のこの状況みたいに(笑)。

緒方:

2人ともヒートアップして話が止まらなくなるのが常ですから(笑)。

枠を取り払うこと、行動すること
そうして見える真理と開ける道

北村:

秀美ちゃんが初めて雑誌でブランキーを撮影したときの話。まだ、彼らのライブを観る前だったんだよね。

緒方:

日本に戻って駆け出しに近い立場だったので、編集者のヴィジョンを汲み取ってキチンと遂行して、ちゃんと仕事のできるカメラマンにならなきゃ、みたいな気負いはあったと思います。

北村:

だけどライブを目の当たりにしたら、アーティストとしての彼らをとらえられていない気持ちになった。かといって、メディアから受けた仕事では好き勝手に撮るわけにはいかない。ならばと自らで動き出して、最終的にメンバー本人まで辿り着いて熱意を伝えたんだよね。

緒方:

絵コンテも描いて持参しました。だけどベンジーに言われたんです、「キミがイメージしているような、こういう写真は絶対に撮れない。だって丘から岩が転がり落ちてくる瞬間は、偶然その場所にいたカメラマンにしか撮れないから。それが宇宙に選ばれた人間だと思う」って。本当にそのとおりで、今ここに居なければ撮れない一瞬を切り取ることが私の原点だったのに、いつの間にか枠組みに収めよう・収まろうとしていて、ズバリそこを突かれたんです。でも、その言葉で忘れかけていた初心に立ち返ることができた。

北村:

「たとえ絵コンテどおりに撮れてもキミは満足しないだろう」とか、「俺たちは指示どおりになんか動かないぜ」って忠告を含んでいたのかもしれないけど、そうやって既存の枠組みを取り外してくれたんだろうね。彼らも予定調和には飽き飽きしていただろうし、この子だったらって感じさせるものがあったと思う。

緒方:

それまでの私は求められる絵面を意識したり、自分の世界観を表現しようと必死だったけど、そんなスタンスで3人の世界観に飛び込んでも本質は撮れない。だから絶えずメンバーと行動をともにして、憑依したイタコみたいにエゴを取り払って無意識にシャッターを切ったんです。バンドとオーディエンス、空間とも一心同体にならないと感動は生まれないし、ブランキーの写真集はそれが具現化された作品。彼らと出会って私のカメラマン人生は開花したし、眠っていた天命を呼び覚ましてくれましたね。

北村:

楽譜があったらスタジオミュージシャンだけでも演奏できるけど、感性が入らないと心を揺さぶる音楽は鳴らせない。それは写真でも絵でも同じ。

緒方:

指示どおりを正解とするなら、今は AI に任せたほうが手間がかからず時間も短縮できるし、間違いないですよね。

北村:

テクノロジーの発展は素晴らしいことで、自分もあらゆる恩恵を受けているし便利で欠かせないツールなのは事実。けれど僕の場合だとソニック・ユースやパティ・スミス、ジャック・ホワイト、森山大道さんとかヒプノシスとかに会っていなければ、ここまで来れていない。ネット検索だけでは道は開けないし、その人たちの古い本を手に入れて100回読み込んだって広がらない。時間と手間を掛けて直接お会いして、話して、教わって、チャンスをいただいて、一緒に仕事をして、それで自信をつけて、次また違う仕事をしてって積み重ねていたら、ザ・ローリング・ストーンズやアンディ・ウォーホルから仕事のオファーが入ってきて、その結果が現在の HYS なんだよね。だから今はノックしてきてくれる若い世代には極力何かサポートしてあげたい。そんな気分です。

坂本:

私の同期のカメラマンもノブさんに作品を持ち込んだらしくて、あんなに凄いデザイナーさんが観てくれるんだと周囲の仲間も驚いていましたね。私のときも長く時間を割いてくださって、じっくり観ていただけたことが本当にありがたかったですし、それが今回の『THE BEAM』展につながりました。

北村:

売りものでなくていいから、何らかのカタチにして残しておいたほうが絶対にいい。ZINE▲でもポスターでもこの世に存在させること。僕のところに来てくれる若い子たちにはそう伝えてる。

坂本:

たとえばオンデマンド印刷なら、ある程度の本が1万円足らずで作れちゃう。今の時代は昔よりハードルが低いから、まず何かやるべきだと私も思います。構想ばかりで足踏みしているより、出版社や印刷所を探したり、協力者を見つけたりすることも経験になるし、実際にカタチにすることに意義がありますよね。

緒方:

私も相変わらず作ってますよ、世界中で。昔は基本的には出版社を通さないと作れなかったけど、今はどこの出版社に持ち込んでも「写真集は売れない時代だ」としか言われないから、だったら自分で作る!って。

北村:

発展したテクノロジーの反動なのか、今またライブシーンが盛り上がってるよね。もちろん情報はネットで流すけど、現場に行かないと楽しめない価値が見直されてきた。それにHYS でヴィンテージポスター展なんかを開催すると、若い子が食い入るように作品を観て、驚いたり不思議そうな顔をしていたりする。シルクスクリーンのポスターは何版も重ねているから、つぶさに見ると微妙に立体的なんだよね。スマホやパソコンの画面と違って実物と対峙するとテクスチャーや表情があることに気付くし、それによって単なる紙の価値観が変わってくる。音楽のライブも展覧会も一緒で、生でこそ感じられるものが確実にあるし、それを楽しめる若者も増えてきたのは嬉しいね。

インターネットが普及したここ20年ほどは、ネットのほうが簡単でラクでいいって風潮が強かった。でも近年はAI が育ちすぎて何でも作れるようになって、精巧なフェイク画像も作れる今になると、逆に真のクオリティへの欲求も活発になる。テクノロジーを追い求めたい人はそっちに向かえばいいし、けど僕たちは本当にいいものを求める人たちに届けていきたい。

坂本:

お二人から教わったことがあるんです。私にとってアートや創作は言葉の代わりとなって表現するもの、魂のコミュニケーションだと捉えいます。そのために嘘がないよう本気で向き合わないと伝わらないし、相手に受け取ってもらえない。HYS の洋服や活動、緒方さんの写真には嘘や誤魔化しがなく、誰にも媚びていなくて、とてもピュアですよね。損得なんて考えもせず、湧き上がる衝動に従って純粋にパワフルに行動されていて、その姿を見て表現者としての指針を学ばせていただきました。

緒方:

打算なんて一切ない。感情に突き動かされるまま写したい!って。いや、残さなければ!!という使命感めいたものがあって、私が撮らないで誰が撮るんだ!!!って思ってる。ブランキーだけじゃなく、現役の横綱だった当時に出版した白鵬の写真集もそう。

北村:

白鵬に出会ったのも横綱になる前だったんでしょ?

緒方:

そうです、直感で惹きつけられた。いつも私は直感。ずっとファッションやアーティストばかり撮ってきた私が、なぜだか急に相撲はフォトジェニックだと。それで宮城野部屋にいい力士がいると伺って、カメラを隠し持って見学に行ったんです。稽古が終わると白鵬だけが近寄って声を掛けてくれたので、その場で撮影の承諾を得て通うようになったんですが、あっという間に横綱になっちゃった。

北村:

そういう行動力だよね。僕も少年時代に音楽、カルチャー、ファッションに目覚めるキッカケになって、ブランドの設立時もインスピレーションを受けたパティ・スミスが ’02年のフジロックフェスティバルで来日したときに、どうしても会いたくて手紙を書いてレコード会社に託したんだよね。しばらく音沙汰はなかったけど、前日に連絡が来て会ってくれると。しかも、ほかのインタビューはすべて断っていたらしくて。

手ぶらでは行けないから、彼女をイメージしたコラージュ作品のTシャツ、自分がディレクションした森山さんの写真集をプレゼントしたら受け入れてくれて。最終日のステージ直後に楽屋に呼ばれて「ポラロイドの写真集を作りたいから、あなたに任せたい」って相談してくれて、即答でイエス!。それが翌年に出版した彼女の初のポラロイド作品集『CROSS SECTION』。行動に移さなければ絶対に起こらなかった出来事だし、そもそも森山さんの写真集を作っていなければパティからのオファーは来なかった。下心なんて微塵もなくて、ただただ会いたかった、見てもらいたかっただけなんだけどね。

坂本:

ファッションフォトグラファーと写真作家は、一般的に別の業界に区分けされていると思うんです。でもノブさんは洋服ブランドでありながら写真作家の作品集を手掛けられていて、緒方さんも写真作家でありながらファッション写真や商業写真の分野でも一線で活躍されている。壁を飛び越えて破壊して、そんなの関係ないぜ!ってぶっちぎってひた走るお二人を間近で見て、写真に境界なんてないと確信できたことは私にとって大きな学びです。

カメラさえあれば怖いもの知らず
あとは理性でなく、魂に従うだけ

坂本:

緒方さんとの出会いは、高校時代に参加した写真専門学校の体験入学のとき。その学校にはカメラマンを本業とする講師もいて、勝手にカメラマン=年配の男性と思い込んでいたところ、キレイなお姉さんが颯爽と登壇して話し始めた。それが緒方さんで、拝見した作品も驚くほど格好よくて。

北村:

見た目はキレイな女性だけど、中身は超イケイケで男前だからね(笑)。

緒方:

講師といっても常任ではないから、教え方も型破りだったと思う。学校側からは「普通の先生が教科書どおりに授業しただけだと実際の仕事では使いものにならないから、現場で活動しているプロに叩き込んでほしい」って依頼だったので、かなり熱くやったよね。

坂本:

こんな風に女性も生きられるんだと衝撃を受けたし、生き方に憧れる大人に初めて出会いましたね。もう絶対に緒方先生から習いたい!って、その場で進路を決めたんです。とはいっても、入学して半年ほどは基礎の授業が続くので、受けもつ先生も違うんですよ。そこを覚えないと緒方先生に教えてもらえないので、ようやく会えたときは本当に嬉しかった。

緒方:

ありがとうございます(笑)。でも私、そもそも教えるのが苦手だからね。自分が誰かから教わったことがないし、師匠を見て盗み取るように覚える感じだったから、生徒に対しても「私を見ろ!」みたいな感じだった(笑)。しかも自分がやりたいことだけやって、飛行機を撮りたいと思ったら学生を連れ立って航空自衛隊の基地に入れてもらったり。

坂本:

バンドのライブだったり、プロレスが観たいからって試合会場まで行って撮ったこともありましたね。

北村:

カメラマンは現場に足を運ばないと成立しないから、やっぱり行動力が必要だよね。森山さんも歩けなくなったら終わりだって言ったね。荒木(経惟)さんなんか動けなくてもシャッターボタンさえ押せれば撮れる、何ならモデルとスタッフに指示さえできれば、自分がファインダーを覗いてシャッターに指を掛けておくから、誰かが俺の指を押してくれって。もう死ぬまで撮っていたんだよねって。

緒方:

うん、死ぬまで撮っていたい。

北村:

荒木さんの現像を担当をしている最高峰のプリンターさんに聞いたけど、今でも毎月持ってくるフィルムの量は荒木さんが一番多いって。仕事はもちろんプライベートでも撮りまくっていて、それがライフワーク。で、それをまとめて次の一冊を出しちゃう。森山さんも荒木さんも僕より二回りも先輩だけど、現役バリバリでチャレンジを続けている。

坂本:

きっと撮りたいから撮ってるだけで、ご本人はチャレンジしている意識もないんでしょうね。

北村:

秀美ちゃんは20年近くも陽ちゃんの写真を観てきたと思うんだけど、師匠の目にはどう映っているの?

緒方:

いわゆるアウトサイダーを被写体にしているのは学生時代からだよね。

坂本:

家(両親?)が少し厳しくて、思春期の頃はロックとか激しい音楽を聴いたり、夜に出歩いたりできなかったんです。けれど緒方さんと出会って、カメラを持っていれば何をしてもいいし、どこに行っていいんだと思えた。それで覗きたかった世界とか近寄れなかった場所とかを見てみようと、気になる人や知らないものを撮り始めたんです。そうしているうちに作風が定まりましたね。

緒方:

特に印象に残っているのは、靖国神社に集まっていたコワモテの団体や黒い街宣車の写真。かなり近付いて勝手に撮ってるんですよ。

坂本:

あの人たちは何してるんだろう???って興味を惹かれて、結構たくさん撮っちゃいましたね。今になって思えば、よく叱られなかったなって(笑)。

緒方:

でも、そういう世界で生きている男たちの怖さにフォーカスを当てるんじゃなく、彼らの純粋性を撮っているんだと感じられた。それに普段の陽ちゃんは控えめで大人しい性格だけど、私と同様でカメラを持つと恐れ知らずになって何でもできちゃうタイプだよね。

坂本:

緒方さんもグッと入り込みますもんね。ロケ中も周囲が見えなくなって、走って来ているクルマに気付かず道路まで出ちゃう。何度も危ない場面があって、いつもアシスタントの私が止めてました。そういう緊張感もよかったですし、これこそカメラマンだと。

緒方:

本当はダメだけど、踏み止まると向こう側の世界が見えないし、理性じゃなくて魂に突き動かされちゃう。何度も言うようだけど、自我を取り払って相手や場所と一体にならないと、いい写真は撮れない。

北村:

“ 無 ” だとか空気みたいにならないと、ありのままのリアルは切り取れないよね。でも写真には秀美ちゃんなり陽ちゃんなりが確実に介在していて、魂が宿っているし、見えないけれど溢れる存在感があるよね。

坂本:

あとシャッターを切る瞬間だけじゃなくて、そこまでに関係性を築き上げる積み重ねも大切ですし、突然タイミングが訪れたときに逃さないよう常に準備しておくことも心掛けています。本当にいろいろな要素が合致しての一瞬なんですよね。

北村:

陽ちゃんは専門学校を卒業して、そのまま秀美ちゃんのアシスタントに就いたの?

坂本:

チャンスがあればとずっと考えていて、緒方さんにも想いはお伝えしていましたが、ある程度は経験を積まないと逆に足手まといになるので、まずはスタジオマンとして働いて、何年か経ってからお声掛けいただきました。

緒方:

そもそもの趣味趣向が合っていて、根底にある考え方や人間性も通ずるものがあるよね。私は平気で無謀なこともしちゃうから、そこに付いて来られない人には務まらない。けれど陽ちゃんは動じるどころか、むしろ面白がっていた節がある。

坂本:

はい、楽しんでいました。格好いい!って(笑)。それまで生きていてパッションとかピュアさとか意識したことがなかったけど、背中で教えていただきましたね。

緒方:

もちろんプロである以上は常にクオリティが求められるし、そのためにテクニックが必要なのは大前提。それよりも大事なのは、自分の真理や何のために生まれてきたかということ。デザイナーでもミュージシャンでも料理人でも、表現者であろうとなかろうと、どんな分野でもひとりひとりにあると思うんです。私に関わってその道で生きて行こうと志す人にはそこを伝えたい。でも言葉で教えられるものではないから見て感じ取ってほしい。陽ちゃんは自分のスピリットに気付いて、自分だけの写真を見つけたよね。

坂本:

自分が想像しているよりもっと世界は面白いことに溢れているし、そこを見つけるのが私の真理。「こんなに面白いものがあったよ。こんなに世界はキレイなんだよ」って見てもらいたくて、そういうシンプルなメッセージなんです。そのありのままを撮るために己を消して、私はただシャッターボタンを押すだけ。けれど、そこはかとなく自分が立ち現れてくるのが私の考える正しい写真なんです。

緒方:

何を面白いと感じるか、キレイだと思うかは自分次第で、陽ちゃんの真理やスピリットがその世界を引き寄せているんだよね。ただ、ずっと同じことばかりを見ていたら、いつの間にか新鮮味なくなり刺激的でなくなっちゃう。だけど感性は無限なので、そのときの琴線に触れる何かが必ずあって、また新しい自分と出会えるから撮りたい欲求は永遠に尽きない。

思うよりも世界は美しく、面白い
そこから放たれる光が誰かを導く

緒方:

一般的に洋服の撮影ってシルエットやディテール、素材感などがしっかりと見えることが要求されるよね。もちろんそれは大事だし、HYS でもカタログに掲載する写真はそうやって撮る。ただシーズンビジュアルや雑誌の特集などでは違って、ノブさんは人間あってのファッションという考えなので、着たときにハッピーな気持ちになったり、元気をもらえたり、エモーションが見えるかを大切にする。私も同じタイプだから、そこを見込んでいただけたのかなって。

わかりやすく洋服が見えるほうが親切で、セールス面での即効性はある。ただそこだけに注力すると今はいいけど、次のシーズンには売っていないし、数年したら意味のない写真になっちゃう。でもアイテムとエモーションが合致すると何年経っても古臭く見えないんだよね。だから HYS の仕事は CD ジャケットを撮る感覚に近いかも。

坂本:

HYS を着ている方々って、どこか誇らしげだったり輝いて見えたり、ポジティブな印象があって、私自身も HYS を身につけていると強くなれる感じがします。みんなに勇気や夢を与えているブランドだと思うし、そのパワーが滲み出るように意識してします。というよりも私が演出なんてせず、まさに無心になって、ありのままを切る取るだけでそれが写るし、着て立っているだけでも格好いい。ですから、今回の写真集だったり自分の作品撮影と変わらないスタンスで向き合えていますね。

緒方:

今回の写真集は陽ちゃんにとっての処女作だけど、どんなコンセプトなの?

坂本:

先ほども少し触れましたが、学生の頃まで両親に色々と制限されていて、世の中は退屈だと思っていたし、自分にも自信なく生きてきました。だけどカメラをキッカケに風景や人がもつ美しさに気付くことができて、勇気や自信をもらえたんです。それで世界や人間がこんなにも輝きを放っていることを、みんなは知っているのかなぁ?と思って 長く撮り溜めていた作品をまとめました。胸が痛くなる出来事や悩みが絶えない暗い時代だけど、その光は誰かを導くことができるほど眩しくて素晴らしいことを伝えたいですね。

緒方:

表紙は2パターンあるんだね。

坂本:

表紙がシルバーのバージョンは、プリント写真が付いて100部限定のスペシャルエディションです。通常版の表紙はノブさんに写真を選んでいただきました。

緒方:

初めての写真集の展覧会を HYS で開いていただけるなんて、本当に光栄で贅沢だよね。私が長くお仕事をしているブランドに陽ちゃんもフックアップしていただいて、今こうして頑張っている姿は感慨深いし、やっぱり嬉しい。

坂本:

緒方さんがブランキーの作品をまとめていたときと一緒なのですが、私も今回の写真集を構成している段階でノブさんに何度か見ていただいたんです。そのときに勇気を出してあとがきの寄稿もお願いして、さらに HYSで展覧会を開きたいとアプローチしました。念願を叶えていただいて本当にありがいです。

緒方:

陽ちゃんは大人しい性格だけど、そういうところは勇気があるよね。

坂本:

さっきも話に挙がったように、実物を観たり、現場に行かないと感じられないことや得られないものってたくさんあって、写真集を買うとか写真展に行くとか最たるものだと思うんです。今回のエキシビションはそういう体験を味わえる場所なので、ぜひ多くの方々に足を運んでいただきたいですね。

坂本 陽

Minami Sakamoto●写真家・緒方秀美に師事し、独立後は雑誌やウェブなどでファッションやタレント撮影を中心に活躍。2019年より「トーテムポールフォトギャラリー」のメンバーに。国内のほか、近年は中国でも作品展を開催するなどフィールドを広げている。2025年8月2日に初の写真集『THE BEAM』を上梓。

緒方秀美

Hidemi Ogata●写真家・伊島 薫に師事後、20歳で渡米。アンディ・ウォーホルなど多くのアーティストと親交を深め、またニューヨークの伝説的クラブ「パラダイスガラージ」で出会った黒人たちのポートレート写真展を開催。以降、国内外で精力的に活動。「今がすべて、この一瞬が永遠」を信条に、内面に秘めた本当の姿を収める技術とスピード感のある作風で、ミュージシャンやクリエーター、アスリート、各国のセレブリティから一個人にいたるまで幅広く信頼を集める。代表作はブランキー・ジェット・シティ、第69代横綱・白鵬 翔の写真集など。現在は一般社団法人 World Sakura Network を設立し、地球規模でのアートプロジェクトとして愛と平和の象徴である陽光桜を世界中に植樹しながら撮影も行っている

北村信彦

Nobuhiko Kitamura●1984年、21歳で HYSTERIC GLAMOUR をスタート。10代から熱烈に愛するロックミュージック、ポルノグラフィ、コンテンポラリーアートを礎に、それらとファッションを融合したコレクションをイチ早く提案。ソニック・ユースやプライマル・スクリーム、パティ・スミス、コートニー・ラブをはじめとする国内外の名だたるアーティストと親交が深く、またテリー・リチャードソンや森山大道、荒木経惟といった写真作家の作品集を自主制作・出版するなど、コンテンポラリー写真の世界とも深く携わる。