HYSTERIC GLAMOURが夢を実現するためにチャレンジをしている世代に、現在地や未来への展望、将来像をインタビュー。ティーンエイジャーの頃思い描いた夢、憧れをはじめ、今現在の達成度、ここまでの挫折、苦悩、さらに今後の目標や挑戦を掘り下げます。第2回は実業家でありインフルエンサーとしても注目を集める、岸谷蘭丸さんです。
――蘭丸さんは幼少期からHYSTERIC GLAMOURを着ていたそうですね。
「昔から母が衣装でもプライベートでもヒスを着ていたこともあって、僕も生まれたときからヒス(ミニ)ばかり着て育ちました。でも、小学生になって物心がつくと、少しずつ羞恥心みたいなものが出てきたんです。当時、公園で遊ぶときももちろんヒスを着ていたんですけど、僕だけ“FUCK”って書いてある服を着ていましたから(笑)。急にまわりと違うことが恥ずかしくなってきて、“みんなと同じものがいい!”って言って、ヒスのロゴを隠すように裏返して着ていたこともあります」
――そこからまたHYSTERIC GLAMOURを着るように?
「中学生くらいになって、ようやくヒスのかっこよさに気づいたんですよ。そこからはもう毎日のように明治通りにあるショップに通っていました。特にお気に入りだったのは、〈ミハラヤスヒロ〉とのコラボスカジャンとダメージデニムです」

――今日の衣装はどうでしたか?
「人生初の腰パンもして、めちゃくちゃ楽しかったです! ビビッドな色使いや柄にヒスらしさを感じる一方で、僕が昔から抱いていたヒスのイメージとはちょっと変わってきてるなとも思いました。シルエットがもっとタイトな印象が強かったんですけど、ダボッとしたアイテムもたくさんあって。20年以上前から続くレガシーを感じながら、ちゃんとトレンドにも寄り添ってる感じがいいなと思いました。最近全然買い物自体に行けていないんですけど、久しぶりにヒスのショップに行きたくなりました」

――普段のファッションのこだわりや、ルーツについて教えてください。
「生き方が変わっていくなかで、ファッションも自然と変わってきたなと思います。それこそ子どもの頃は〈ヒスミニ〉から入って、中学生になると、ダメージデニムや派手なプリントの服が大好きでした。高校生くらいになると少し嗜好が変わって、〈ヴィヴィアン・ウエストウッド〉とか、パンクなものに憧れるようになって。10代って、ちょっと粋がりたい時期じゃないですか(笑)。でも20代になると、無理してたなと思うようになり、当時15個くらい開けていたピアスも全部外しました。そこから少しずつ自然体に。〈メゾン マルジェラ〉、〈ミハラ ヤスヒロ〉などシンプルで質の良い服を着ることも増えて、今は“無理をしないけどかっこ良くはありたい”というのが自分のスタンスです」
――そういえばトレードマークの口のピアスもなくなっていますね。
「19歳くらいのときに“かっこいいかな”くらいの気持ちで開けてから、ずっとピアスをつけっぱなしにしていたんです。でもある日、焼肉を食べていたときに2つともポロッと取れたんですよ(笑)。その瞬間、“あ、もう役目が終わったんだな”と。“もう君はこれがなくても十分やっていけるんだよ”って、神様のお告げだなと思って、その後からつけていません。乳歯みたいなものなのかなって」

――ちなみにファッションで失敗したなという経験はありますか?
「失敗なんて数えきれないほどあります(笑)。15〜17歳の頃は、身長が低いのがコンプレックスで、好きな服を着ても似合わない気がして、無理してめちゃくちゃ高い厚底靴を履いていたんです。結果、めちゃくちゃ腰痛を悪化させてしまって、今でもちょっと引きずっているくらい(笑)。とにかく“変であればあるほどいい”と思っていた時期もあって、今思うと全部が変でしたね。でも、それって個性的でありたいというより、個性がないのが怖かったのかもしれません。10代の頃なんて、個性がなくて当然なんですけど。あの頃のファッションは自己表現というより自衛だった気がします。でも、そうして服に支えられていた部分もあると思います」
――ではそんな10代の頃の話を聞かせてください。当時の夢と現在の活動を始めたきっかけは?
「10代の頃、夢はなかったですね。やりたいことが見つけられなかったです。10代でやりたいことが明確に決まっている人のほうが珍しいんじゃないかな。今の時代は選択肢がありすぎるし、何にでもなれるからこそ、何になったらいいのかわからず、明確に夢がないというのがすごい悩みでした。“絶対に稼ぎたい!”という気持ちはあったんですけど、それ以外は特になくて。20歳で高校を卒業してから22歳くらいまでは、何をするでもなくダラダラとした“大モラトリアム期”を過ごしました。でもやらなきゃという気持ちは常にあったので、そこでネットを始めてみたり、会社を起こしてみたりして……。ずっと迷走した結果、だんだんとやりたいことを選別できるようになったんです。結局、お金のためだけには働けないけど、お金は欲しいという矛盾を解決するため、気持ちのいい稼ぎ方をしたいと思うようになりました」

――会社を起こそうと思ったきっかけは何ですか?
「男って、誰しも一度は起業してみたいとか言い出すことあるじゃないですか。僕もそう思ったからやっちゃったという感じです。あと、友達に恵まれていたのも大きかった。まわりに“挑戦しようぜ!”というマインドの人が多かったから、自然と“やらなきゃ”という気持ちになったし、一緒にやってくれる仲間がいたからこそ実現できたと思います。今一緒にやっている仲間とは留学前に出会ったんですけど、お互いにネットや映像の仕事をやっていて、やりたくないことと家庭環境が似ていたから、良いバランスで始められた気が。そのおかげで、いわゆる学生ベンチャーっぽい軽さにはならなかったです」

――10代の頃に挫折を感じたことはありますか?
「頑張っても結果が出ないことの連続で、挫折しかなかったですね(笑)。何かに一生懸命取り組んでも思うようにいかなかったり、思春期の頃は正しいことを言っているつもりなのに、誰にも聞いてもらえなかったり。まわりと違うふうになりたいのになれなかったり、逆にまわりと上手く合わせられなかったり。好きな子に振られたとか(笑)。挫折は常に感じていました」
――そういった挫折から学んだことはありますか?
「10代のときに、“世の中は意外と弱肉強食なんだな”って気づきました。欲しいものがあるなら、自分で取りに行かないと誰もくれない。結局、努力してサバイブしていくしかないんだなって。なかでも早稲田実業学校に入ったときはカルチャーショックが大きかったです。小学校は私立で、凄く少人数の学校で似たような子が集まる穏やかな環境だったんですけど、中学ではいろんな人がいて、運動部っぽいマインドの人も多くて。それまで自分の意見は通りやすいほうだったんですけど、 意見って言えば通るものじゃないんだって実感しました。通したいなら、まわりを納得させる力が必要。体が大きい人や、声が大きい人、面白い人、勉強ができる人、いろんな人がいて、みんなそれぞれのフィールドで戦ってるんですよね。そういう環境に身を置いて、自分の意見を通すには、ただ言うだけじゃダメなんだと学びました」

――いつも時代の空気をよく読んでいる印象がありますが、どうやってつかんでいますか?
「多分、僕がある意味で平凡だからだと思います。ものすごく尖った個性があるタイプではないので、時代ごとに大きく浮き沈みしないんですよね。ファッションでも音楽でもタレントでも、その時代にハマっているものって、流行が過ぎると古く見えてしまう。でも僕の場合、良い意味でも悪い意味でも流されやすいところがあるので、自然と時代に合わせて変化している気がします。“これだけは譲れない”というベースの芯はちゃんとあるけれど、そのうえで、時代とか世の中の波みたいなものを眺めながら生きるのが、自分には合ってるのかも。結果的に、それが空気を読んでいるように見えるのかもしれません。あと単純に、人間社会を観察するのが好きなんです。“今、みんなこれどう思ってるんだろう?”とか、“この現象が起きたら世の中はどう動くんだろう?”みたいなことを考えるのが楽しくて。そういう世間を見ながら、“俺も混ぜて〜!”と思って流行に入っていっちゃうのかな(笑)」
――将来は東京都知事になりたいという夢も掲げていますよね。
「はい。子どもの頃から街頭演説を見たり、ポスターを眺めたりするのが好きで、サッカー選手に憧れるような感覚で、政治家に憧れていました。なので、原点回帰みたいな感じです。政治と僕が今やっている教育事業って根本の部分で共通していて、どちらも“世のため、人のため”という意識があると思うんです。そして、そういうことのほうが自分は頑張れるタイプ。あとは月並みですけど、僕が30代で都知事になれたら、“自分たちだって何にでもなれる”という、ライトな希望を世の中に届けられる気もしていて。もちろん、まだまだ勉強が足りないと痛感しているので、これからしっかり学んでいきます。今、思い描いていた理想の自分に近づいている実感はあるけれど、それによって得た影響力の強さや、思ったより性善説でいることの難しさもあって、日々葛藤しています」

――では最後に、今夢を追っている人へのメッセージをお願いします!
「10代でやるべきことがわかったなんて人はきっとほとんどいません。わからないのが普通で、みんな同じように迷っています。特に思春期は自分の“コア”や“軸”ができる時期。だからこそ、何か一生懸命になれるものがあるなら、それはすごくいいことだなと。たとえそれがコンプレックスから始まっても、それで全然いい。部活でも、勉強でも、ファッションでも、本気になれる時間を経験することが大切だと思います。あと、将来のことは意外とちゃんと考えたほうがいい。“好きなこと何でもやりなよ”って言葉は、実は少し無責任だと思っていて。どうなりたいかがわからなくても、どうなりたくないかはわかるはず。それを避けるために、最低限やるべきことはやっておくといいと思います。リカバリーって意外と効かなくて、20代に入るとみんな一気に頑張り始めるから、差がどんどん開いていく。だからこそ、10代で積み上げたものは本当に大きい。そして同時に、こういう20代以上のおじさんが言うことは聞き流す程度で跳ねつけるくらいでいてほしいなと(笑)。みんな10代にいい顔をしたいだけだから。自分の道を自分で選んで、自分の足で歩いてください」


岸谷蘭丸(きしたに・らんまる)
2001年7月7日生まれの実業家。海外の高校へ進学後、現在はイタリアのボッコーニ大学に在籍しながら、自らの経験を活かした海外大学への留学支援サービス「MMBH留学」の創業や、海外大学情報サイト「留パス」を設立するなど精力的に活動中。持ち前のトーク力を武器にABEMAの生配信情報番組『ABEMA Prime』のコメンテーターを務め、自身が初めてMCを務めるNewsPicksの情報番組『newZnew』も10月からスタート。YouTubeやTikTokをはじめSNS発信でも、日々その存在感を強めています。
▼STAFF
photography_YURI HORIE
styling_TAKUTO NAKASE
hair & make-up_TSUKUSHI TOMITA[TRON]
text_MIHOKO SAITO
▼着用クレジット
スタジャン¥84,700、Tシャツ¥15,400、カーディガン¥49,500、デニムパンツ¥39,600、ブーツ¥132,000、フライトキャップ¥18,700、フリンジバッグ¥39,600/以上すべてヒステリックグラマー
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