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INTERVIEW2024.07.16

SDGS VICIOUS

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デザイナーSYUNKIさんとHYSによる〈HYSTERIC BOOTLEG〉の第二弾。〈THE FLWRS〉の平本ジョニーさんが加わり、銘打ったインスタレーション「SDGS VICIOUS」を、HYS渋谷店で開催。北村信彦と、世代の異なるSYUNKIとジョニーが考える今回のプロジェクトとは?

Photos: Reki Matsumura
Interview & Text: Hiroshi Kagiyama

―昨年10月に、〈HYSTERIC BOOTLEG〉というタイトルで、SYUNKIがHYSのアーカイブのコレクションを一度解体し、新たに構築したリメイクのコレクションを展示・発表しました。その第二弾となる今回は、制作メンバーに平本ジョニーさんも加わって参画されたということですが、どんな経緯から始められることになったのでしょうか?

SYUNKI:
最初、ジョニーさんが取り組んでいる〈THE FLWRS〉というプロジェクトで「何か一緒にやりたいよね」というお話をいただいたんです。僕が〈HYSTERIC BOOTLEG〉でやらせていただいている、作り変えたりとか持続可能なものというコンセプトと〈THE FLWRS〉が似ているところを感じたので、ノブさんにお話しして、今回三人でやろうということになりました。

―そうだったんですね。ジョニーさんが手掛ける〈THE FLWRS〉は、普段から寄付活動もしているとお聞きしましたが、どんなコンセプトのもとで活動されていらっしゃいますか?

平本ジョニー(JOHNNY)(※以下、JOHNNY):
最初に始めたきっかけは、亡くなってしまった僕の先輩がいて、体が大きな人だったんですけど、その方が大切に持っていた服を捨ててしまうのも心苦しくて。ちょうどその時、知り合いのコサージュ屋さんから、コサージュを作るだけでは商売が成立しなくなったという実情をお聞きしていたので、じゃあ先輩の服を使って造花を作ってみようとしたのがきっかけでした。せっかくなので、それをブランドにしたいなと思って、花にできそうな生地を調べてみたら、洋服屋さんやそれ以外の場所でも余って捨てられてしまう生地を集めて作れそうなことがわかったんです。それから、周りの方たちにそのプロジェクトのご相談をしていくうちに、まずは広島出身のアーティストの河村康輔さんと、「軍服なんてこの世にいらないでしょ」というメッセージを込めて、軍服を解体して生地にして、そこにシルクスクリーンを刷ってお花の形にして、造花を作りました。

―素晴らしいプロジェクトですね。ノブさんはジョニーさんとはもともと面識はあったんですか?

北村信彦(NOBU)(※以下、NOBU):
今回、SYUNKIから、「ジョニーさんと一緒にやりたいんです」という相談を受けて、話を聞いてみたら、自分のコンセプトとも合うし、いいんじゃないかなと思ったんだ。もともと自分は、コロナの前に渋谷の「DAYZ」で小さなインスタレーションを行ったぐらいから、自分のコンセプチュアルな活動として「LOVE BUZZ」というプロジェクトを始めたんだよ。今はSNSが中心の世の中だけど、昔、自分がカセットテープに好きな音楽を録音して友だちにプレゼントしたり、手書きで手紙を書いて海外の友だちに贈ったりしていたんだけど、それを作るまでの時間を費やすことだったりとか、逆に自分が友だちからもらった時の気持ちみたいなことが懐かしいなと思って。そういう想いも含めて、何かプロジェクトにしたいなと思ったのが「LOVE BUZZ」なんだ。その中に、リサイクルのようなことをひとつのコンセプトにもしていて、いろいろと活動していくうえで、徐々に変化していけばいいのかな、と考えている。そんな矢先にSYUNKIと出会ったんだ。パンデミックの最中に学生だったけど、学校に行っても意味ないし、自分でブランドをやりたいという話をSYUNKIから聞いたら、21歳で、自分がHYSを始めたのと同じ歳だったんだ。それで、SYUNKIから「HYSのストックしてある服を解体してリサイクルさせて作りたいんです」というアイデアを聞いて、面白いなと。ちょうど自分も、〈HYSTERIC BOOTLEG〉みたいな企画を思案していた時だったから、そのきっかけは、ソニックユースなんだよね。

JOHNNY:
そうなんですか!

NOBU:
アーティストって、ブートのレコードは訴訟したりタブーなのが当たり前だけど、ソニックユースは大歓迎なんだよね。彼らが東京に来たら、まずは新宿のブート屋に行って、自分たちのライブ音源とかのブートのCDとレコードを探して、それを収集している、というのを以前に聞いていて。たしかに愛のあるブートだったら、オフィシャルじゃなくてもそこには価値があるんじゃないかな、と考えていた矢先だったので、じゃあHYSのオフィシャルでブートを出そう、ということから、SYUNKIと始めたのが〈HYSTERIC BOOTLEG〉だった。

JOHNNY:
最高ですね…!

NOBU:
ただ、〈HYSTERIC BOOTLEG〉にルールがあるわけじゃないから、そんなことからジョニーとも一緒にやることにもなって。ジョニーとは飲みの場では何度か会ったことはあったけど、プライベートでそこまで深く付き合っていたわけではなくて。でも、会うたびに熱く話しかけてきてくれるし、「自分が子供の頃からHYSを着てました!」っていつも言ってきてくれて。

―そうだったんですね!

JOHNNY:
HYSの服は8歳ぐらいの頃から着ていました。「横浜ビブレ」が近所にあって、そこにHYSのお店が入っていて、お母さんともよく行ったんですが、そこの店員さんに可愛がってもらっていたので、その方の休憩時間を狙って1人でも行ったりしていました(笑)。店員さんがお母さんに「ジョニーくんが着ちゃったので」って電話してくれて、服を取り置きしといてもらって、後からお母さんが支払いに行くっていう(笑)。そんな失礼な話ですが、HYSのお店が遊びに行く場所みたいになっていたんです。

NOBU:
そんなジョニーの話を聞くと、会ったこともない時から、自分が作った服に袖を通してくれていたりもするわけだし、面白いかもしれない、と。自分とSYUNKIとジョニーで、年齢がバラバラなのもいいしね。

JOHNNY:
そうですね。SYUNKIがもともと洋服を作っていたことや、ノブさんとの打ち合わせの会食の場になぜか僕も一緒に隣に座っていたりもしたので。ただ飲んでいただけですが(笑)。

NOBU:
2人の仲はだいぶ古いんだよね。SYUNKIが中学生ぐらいの頃からはジョニーのことを知っているんでしょ?

SYUNKI:
ジョニーさんのことは、雑誌とかに出ていたことを見ていたり、遊びに行った先で見かけたりもしていたので、一方的に知っていました。ジョニーさんとは、馬場さんとかノブさんと出会ったのと同じ頃に知り合って、もう4〜5年経ちます。元々、僕が〈JANCHY〉(学生時代に手掛けていたブランド)を始める時に、事務所がなくて、作業できる場所も打ち合わせができる場所すらないっていう話をしたら、ジョニーさんが当時のオフィスを僕らに「使っていいよ!」って言ってくれて、そこを使わせてもらっていました。

―では、今回お三方で一緒に企画制作することは、来るべくして来たタイミングでもあるんですね。今回の「SDGS VICIOUS」というタイトルはどんな経緯から名づけられたんですか?

SYUNKI:
打ち合わせをしていくなかで、ノブさんが付けてくれたんです。

NOBU:
「SDGs」ってすごく言いづらいよね。それで話していくうちに、SDでなぜかシド・ヴィシャスが思い浮かんで、そこから「SDGs VICIOIS」でいいんじゃないっていう(笑)。面子的にも、(セックス・ピストルズのジョニー・)ロットンじゃなく、(シド・)ヴィシャスのほうが好きでしょっていう(笑)。

JOHNNY&SYUNKI:
笑!

NOBU:
でも、今回の企画は、SDGsということが目的ではないんだよね。ここ最近、20代の若い人たちと会話をしたり、ものを作る機会が増えてきていて、そういう人たちが自分が過去に作ったHYSの服を親からもらったり、古着屋で買ったりして、大事に着続けてくれているのを見たり聞いたりすることが多々あって。それにすごく救われた想いがある。だから、まだまだ違うやり方があるな、という気分を沸かせてくれたんだ。ブランドも今年で40周年だし、自分自身も還暦を過ぎて、もういいかなぁ…と思っていたりしたけど、そこに海外から尋ねてくれた若い子たちが、親からHYSの存在を知って、「今は親が着ていた服を僕が着ています」という親子2代で支持してくれている人たちがいたり、SYUNKIと出会ったり、そういうタイミングがマッチしたんだよね。

―そこには、新しいサイクルが生まれているんですね。では、SDGsという点に関してですが、ファッションってSDGsやサステナブルがどうしても活かしづらい業界でもあると感じていますが、今回その言葉を掲げる中で、世間には、「SDGs」とか「サステナブル」という言葉だけがやたら乱立しているのは感じざるを得ないですよね。

NOBU:
そうだね。世間では、「地球にやさしく」とか「モノを大事にしよう」とか、そこに国が手を差し伸べて「SDGsとかサステナブルの援助に貢献します」みたいなことを言っているけど。実際に街を歩いていて、大量生産の考え方をしている企業がそういったスローガンを掲げているけど、その原因を作っているところがスローガンを掲げているから、訳がわからないよね。そこに国が援助している自分たちの税金がおかしな使われ方をしている、そこにも変な資本主義の匂いを感じているんだよね。昔だったら、そこに火炎瓶やブロックを投げつけたりしていた連中がいたけど、そこまでのことをしなくても中指ぐらいは立ててもいいんじゃないのっていう気持ちもどこかあって。それは喧嘩相手に中指を立てるんじゃなくて、自分の尻を持ち上げるというか、創作活動に没頭するエネルギーに変えられるから。それがカウンターカルチャーとかサブカルチャーの原点だよね。でも、今はサブカルがブームになってしまっているから。

SYUNKI:
何がサブカルか、よくわからなくなっていますからね。

NOBU:
そうだね。今では、90年代の東京のサブカルを掘りに、海外の人たちがたくさん来てくれているわけだし、それもSNSがあってそういう動きがあるわけだから。そこにもうひとつ、少し古臭いけど、人に手書きで手紙を書くとか、今の考え方だと時間のロスかもしれないけど、今回のインスタレーションを見てもらったら、違う気持ちが湧き立つようなことのきっかけになればいいかなと思う。たとえばこの花は、ひとつひとつ制作するのに時間がかかっていたりもするし、HYSの服も大事に着てもらいたいと常々思っているので、丁寧に作るんだけど、生地の端切れは絶対に出てしまう。そこで出た端切れが違う形でもう一回チャンスをもらって、ジョニーがそのきっかけを持ってきてくれたから、この花のシリーズは続けていくと思うし、今後も枯れない花を作っていくことになると思う。THE FLOWER THAT NEVER DIES!

SYUNKI:
さらにその次の施策も始めていますしね。洋服に関しては、今回も僕が全部1点もので作っていて、久しぶりに自分でシルクでプリントしたものもあります。お花に関しては、ジョニーさんがやっていらっしゃる〈THE FLWRS〉のベースに、ノブさんと僕がHYSのウエアハウスに行って、選んできた生地をジョニーさんにお渡しして、お花にしてもらったりしています。

NOBU:
うちのウエスから咲かせた花は今回が一回目だけど、これから継続していくと思うので、自分なりの「LOVE BUZZ」風に、こういうふうにこの花で遊んでみてもいいんじゃないですか、ということを今回のインスタレーションで表現しようかなと思っている。

JOHNNY:
僕としても、〈THE FLWRS〉を始めてまだ1年ぐらいで、まだ数えるぐらいの活動しかしてきていないんですが、洋服に落とし込んで作ったのは今回が初めてですし、コサージュもこれまでに作っていなかったので。ここまで作り込んだのは、今までやったことがなかったです。

SYUNKI:
ジョニーさんのコサージュを前面に付けたスタジャンも、知り合いの資材屋さんが裁断した時に出る、世に出せない余ったチェーンをタダで回収してきてもらって、それを巻きつけたりもしてカスタムしました。

NOBU:
今回のインスタレーションでも、粗大ゴミにしようとしていたベッドとかインテリアとか雑貨とか、そういうものもまた違う形になるかな、と。

JOHNNY:
超楽しみです! 僕からしたら嬉し過ぎて、すぐ母親にも電話しちゃいました。子供の頃、たくさん買ってもらっていたので、今回のプロジェクトはめちゃくちゃ親孝行でもあります(笑)。

―そういう意味では、世代の違う三人が企画することで、いろいろな世代の人たちが今回の展示を来てくれる入り口にもなっていますよね。

SYUNKI:
今回、いろんな世代の結構な人数の方々に協力をしてもらって、「SDGS VICIOUS」のTシャツを着たポートレイトの撮影もしたんです。国とか大手企業とか団体がよくやっている署名のようなものって、何も見えてこないというか、何の署名なのもわからないし、意味もわからず書いてる人がほとんどじゃないかな、という気持ちがあって。だから今回撮影する前に、ひとりひとりにこういう企画で賛同していただける方に、署名のつもりでポートレイトに参加してもらおうという想いで企画しました。撮影には、ノブさんの世代からジョニーさんや僕らの世代の人たちまで参加してもらえたので、この三人だからこそできた企画だと思っています。

―とても興味深いコンセプトとアプローチですね。前回ともまた違った面白さがありますね。

NOBU:
インスタレーション自体もそうだけど、そこにたどり着くまでの行程のほうが自分にとってはすごく重要だし、その時間が持てたのは嬉しかった。次の20年、もう少しいけるかな、と。SYUNKIとかジョニーの周りの若い世代からすると、いろいろと聞きたいこともあって尋ねてきてくれるんだけど、息子と孫の世代の間ぐらいだから、おじいちゃんが戦争話を孫にしているように、自分の体験してきた思い出話をすると、すごく喜んでくれて、そこから新しいアイデアが浮かんだのか、しばらくしたらZINEとか形にしたものを贈ってくれたりもするんだよ。そういう世代間のキャッチボールができているのは、ブランドにとってもありがたいし、これからが楽しみだね。今年の11月に40周年イベントで、一旦そこで総まとめというわけではないけど、自分にとっては41年目、42年目のほうが新生なイメージが芽生え始めていて、何か今までに乗ってきたものとは違う乗り物に乗り替えるような感覚なんだよね。

―とても楽しみですね。世代間の座組みでいうと、SYUNKIさんがこの三人で一緒にプロジェクトを行うイメージがあったということですよね。

SYUNKI:
普段、遊びの場でも可愛がってもらっている2人と、こうやって仕事ができて、ひとつのプロジェクトができることってなかなかないと思うので、本当に嬉しいです。

NOBU:
たとえば、ジョニーの花は造花なんだけど、「私、この花の生地の服を持ってる」とか、そうやって楽しんでもらえるしね。だから、このインスタレーションを見る人によっては、違う想いがあるかもしれない。

SYUNKI:
そういうことも起きるんでしょうね。

NOBU:
ブランドからしたら、服も買ってもらうし、そこから出た端切れも買ってもらう。隅から隅まで(笑)。でも、売り上げの一部は寄付させてもらうしね。

JOHNNY:
こども食堂に寄付させていただきます。あとは、生産の方から聞く話だと、このコサージュを作っていただいた職人さんたちもこのプロジェクトに携われて、喜んでくれているそうです。職人さんたちからそれ以外の周りの人たちも喜んでくれているので、みんなにとってピースな感じになれる展示ですね。

NOBU:
HYSの服は、国内の工場でほとんど生産しているんだけど、アイテムによってパターン数が多いので、縫い子さん泣かせなんだよね。昔、ある工場で作っていた、今の若い子たちも履いてくれているハギを重ねて作ったデニムがあるんだけど、あれも最初、縫ってくれた職人さんたちが、パターン数も多いしハギの配置も全部バラバラにして、仕末も各パーツによって全部違うから、最初の生産で断られてしまって。どうしようかと思っていた時に、当時若い人たちに人気だった浜崎あゆみさんがそのデニムを着ている写真がファッション誌に掲載されて、その雑誌を工場の人たちに見せたら、職人さんの娘が浜崎さんの大ファンということがわかったことから、生産のオーダーを受け入れてくれたんだよ。さっきジョニーが言っていたように、縫ってくれている人の想いは確実に商品に乗り移っていたりするから、うちのブランドとしては大事にしている。

―そういうところまで到達すると、SDGSなどという言葉を超越してきますね。

SYUNKI:
僕らの世代はHYSの服を最初に手に入れたのが古着の人も少なくないと思うんですよ。そういう意味では最もSDGsというか、洋服は古着になることが一番SDGsだと思っているので、それを服に再構築したり、お花にしたり、ということが今回できていることかなと思っています。

NOBU:
音楽にしろ洋服にしろ、ジャンルはどうであれ、安く数を売ることファスト的なビジネスが成り立ってきた。買う側からしてみれば、安い値段で買えるならまた来年同じような新しいものを買えばいいし、持っていたものは捨ててしまえばいい、という行為が当たり前になってしまった。でも、ちょっと違うんじゃないかなって感じてる。レコードの時代はそんなことなかった。音楽の中身はよくなくても、レコードジャケットだけでも残しておきたいものもあった。でも、それがレコードからCDになって、CDはCDでひとつのパッケージという部分で形になってこの世に残ってるけど、今はダウンロードとかストリーミングになって、音楽の価値観も変わってきた。服だとか家具だとか生活に関わるものがすべて同様に…。

―そういう意味では、HYSの服を買った人は絶対に捨てないですよね。買った当時は、吟味して買ったわけですしね。

SYUNKI:
間違い無いですね。最初は、HYSの服を切っていいのかどうか緊張しましたから(笑)。

―そうですよね(笑)。NOBUさんがそういう気持ちでいてくれると、お二人も思い切りやり切れるんでしょうしね。非常に興味深いお話をありがとうございました!

Johnny Hiramoto

Creater, Artist, Designer

1985年、横浜生まれ。
ファッションブランド「PHENOMENON」や「MISTERGENTLEMAN」のデザイナーとして知られるオオスミタケシに才能を見出され、ファッション業界に足を踏み入れました。以来、クリエイター、アーティスト、デザイナーとして多岐にわたる活動を展開し、「東京を代表するストリートアイコン」として名を馳せています。自身のブラン「John’s byJohnny」のデザイナーとして活躍する傍ら、数多くのファッションブランドにデザインを提供。2021年にはラッパーとして「THE NEVER SURRENDERS」を結成し、音楽の世界にもその才能を広げました。2023年にはクリエイティブチーム「MONOLITHIC NEONTOKYO」に参加。
また、彼の手がけるブランド「THE FLWRS」は、廃棄物を削減し循環型社会を目指しており、アパレル製品の生産過程で生じた廃生地をアップサイクルしてアーティフィシ ャルフラワーを作り出しています。
さらに自身のプロジェクト「installation1985」の企画など、活動の幅を一層広げています。

SYUNKI

Designer

2001 年、東京生まれ。
10 代前半から裏原宿のファッションシーンに魅了され、洋服制作の基礎を学び、自主制作を始める。
スタイリストとしても活動を開始。
2019 年にこれらの経験を活かし、英国文化やカウンターカルチャーに通ずる洋服作りを中心としたブランド「JANCHY」を立ち上げる。
2022 年「CIRCLE HERITAGE」を設立。

北村 信彦

Designer

1962年東京生まれ。
東京モード学園を卒業した 1984 年、(株)オゾンコミュニティに入社。
同年、21 歳で HYSTERIC GLAMOUR をスタート。
10代半ばから猛烈にアディクトするロックミュージックを礎に、ブランド設立当初ロックとフ ァッションの融合をいち早く見出したコレクションを提案。
ソニック・ユースやプライマル・スクリーム、パティ・スミス、コートニー・ラブをはじめとして数多なアーティストたちと親交を深める。
一方、ポルノグラフィティやコンテンポラリーアートなどにも傾倒、その感性はHYSTERIC GLAMOUR の代名詞の1つでもある T シャツでも表現している。
また、テリー・リチャードソンや森山大道、荒木経惟をはじめとする写真作家の作品集を自主制作・出版するなど、現代写真界にも深く携わる。

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