FEATURES

INTERVIEW2023.02.03

EXP|RIKACO

SHARE

TWITTER

FACEBOOK

SHARE

TWITTER

FACEBOOK

新企画EXP。第一回目はモデルやタレントとしてマルチに活躍中のRIKACOさんです。
EXPとはEXPERIENCE POINTの略で知識や経験を積むことを意味し、RPGではキャラクターの成長を表します。さまざまな経験(EXP)を持ち縦横無尽に各界で活躍されている方々に今興味を持ち取り組んでいること、自身の経験から得た教訓を通じ人生の後輩へ贈りたいエールについて伺います。

Creators
Photographer : Minami Sakamoto
Hair&Make : Yukio Mori
Writter : Yuuki Obana

RIKACOが総合プロデュースする舞台 『どうか妹だけは助けてくだい』に 込める思いとは。

RIKACO氏が総合プロデュースし2月3日金曜日より上演される舞台『どうか妹だけは助けてください』。その舞台には自身の長男で脚本と演出を務める渡部樹也はじめ、出演者でプライベートでも親交のある福地展成、小園凌央など親の世代が創ったカルチャーに興味を持ち追随する2世のZ世代もキャスティングしている。Z世代と舞台をしようと思った経緯や、RIKACO氏自身が10代から親交のあるデザイナー北村信彦氏に舞台の衣装協力をなぜお願いをしたか、2人の出会いや今現在の関係性などを今回はお届けします。

―まずはお2人の出会いや出会った頃のことについて教えてください。

RIKACO:
まだ私が「Mc Sister」のモデルをしていた頃だから17歳くらいでノブちゃんは21歳くらいだったよね。

北村信彦(※以下、北村):
そうだね。RIKACOが「Mc Sister」のモデルを辞める少し前だったからその頃だね。林マヤ<パリでピーター・リンドバーグと出会い、日本人で初めてフランス版の「マリークレール」に載り、パリコレなどで活躍したモデル>の旦那が当時ヒスの仕事をしていて電車でRIKACOと偶然会って声をかけたのが最初だよね。まだ僕がヒステリックグラマーを始めたばかりで、原宿にある小さなマンションの1室でデザインから発送まで数名のスタッフですべてこなしていた頃だよね。

RIKACO:
そうそう。当時ヒステリックグラマーみたいにカルチャーを全面に押し出すような感性を持ったブランドはなかったからね。そのあたりが自分の感覚ともフィットしてヒスの事務所に週に何度も通うようになったね。自分の家に帰宅するように撮影後、シスターモデルの根本聖子なんかを引き連れ、お菓子を持って床に座っておしゃべりしながらノブちゃんの仕事が終わるのを待つのがルーティン。仕事終わりにご飯してからクラブで朝まで遊んで翌日はお互い朝から仕事していたね。日々刺激的で楽しかったのを覚えている。

北村:
ブランドを立ち上げた当初はレディースを展開していたけれど、僕はユニセックスでやろうと思っていたんでよね。当時はウィメンズとメンズがまだ明確に分かれていてユニセックスって感覚がまったく根付いていなかったけど。60年代、70年代にローリング・ストーンズやデヴィット・ボウイなんかがステージでサイズの小さなレディースを着ていたんだ。それがすごくカッコよかったから一応レディース名義だけどユニセックで着れるものをデザインし始めたんだ。そしたら日本でのバンドブームも手伝って若いロック好きの男のコたちがうちのデニムを穿いてくれるようになってさ。その辺りがRIKACOのリーバイス501、ティンバーランドのブーツ、Schottの革ジャン、いわゆる男の定番アイテムを女が男に媚びずスタイリングに取り入れるって感覚と合致したんだろうね。当時のレディースモデルの流れからしたらRIKACOは異色だったしね。うちがユニセックスって感覚を根付かせていったようにRIKACOも女のコたちにユニセックスって感覚を流布したと僕は思っているよ。

RIKACO:
当時は今みたいにSNSなんてものがないからクラブとか遊び場がその役割を果たしていたよね。流行りの遊び場の数もそんなにないから必然的に集まる人たちも一緒で。そこに集まる感度のいいコたちの間からおしゃれも広がっていく感じ。 今みたいに趣味嗜好も多様化していなかったからね。今でもファミリー的なお付き合いをしているのは当時の遊び場で出会った仲間がほとんどだな。少し離れている時期があってもブレない軸で繋がっている感じがする。

北村:
たとえ離れていても世界中どんな場所に居ても直ぐに連絡が取れるのが今のSNS。当時はバンドをするとかファッションを志すには東京にいないと、どうしようもないところがあったからその熱量も高かった。夢を抱いて東京に出てきたコたちにとって流行りのクラブはハレの舞台でもあったと思う。敷居の高いところに頑張って行くのがひとつのカルチャーだったし、その敷居を跨いで、誰かと繋がれたときに帰属意識がより高くなる。だからこそ結びつきが固いのかもね。本当の意味での社交場、そこへ顔を出すことで人と人が繋がっていく。今と違って各曜日で音のジャンルが違うから今日はレゲエデーだからあのクラブに行くって遊び方なんけど、何だかんだ感性の近しい人たちが同じ場所に集うんだよね。当時のクラブはサードプレイス的な役割を担っていたのかな。日が落ちた夜だからこそ生まれたクリエーションもあったと思うし。夜な夜なクラブに通って直接コミュニケーションを交わした先にビジネスがあったりね。

ー会っていない時期を経てまた蜜に会うようになったきっかけはなんですか?また、舞台をRIKACOさんがプロデュースしたわけや北村さんをそこに巻き込んだのはなぜですか?

RIKACO:
以前私が出演した舞台に共通の友人を通じてヒステリックグラマーのPRの原口さんが来てくれたの。その舞台の後に一緒に食事をした際、共通の友人たちが母である私より次男の蓮を原口さんに猛烈にPRをしてくれて(笑)。そこからヒスのモデルとして蓮がお世話になるようになって、またノブちゃんと会うようになった感じかな。 そこには数十年っていうブランクがあったけど、そんなブランクなんて存在しなかったように付き合えるのが昔からの仲間の良さだよね。若かった頃は感覚で繋がっていたけど、年月を経てお互いにいい大人になると、ゆっくり腰を据えて話しをする。そうすると根っこの部分が一緒だなとか、やっぱり感覚的なものが近しい、なんて再認識できたのよね。

北村:
蓮がうちのモデル始めた頃は蓮が農業をやることを真剣に考えていた頃で一緒に食事しながら結構先のことまで話しをしたよね。「三浦の別荘の横で畑でもするか?農業もありだね」なんて話しもしていたね。そしたら海外ドラマのオーディションの話が舞い込んで来て、あっという間にオーディションに通って、カナダ行きが決まっちゃったけど。蓮と幼馴染で今回RIKACOの舞台に出る福地展成とかも蓮と出会う前に別のルートで既に出会っていて、H.G.A.S.で映像のプロジェクトを一緒にしたりしたしね。蓮、樹、展成も含めてその親や親周りの大人たちも昔から付き合いがある連中で、その縁がここ最近次の世代にまで繋がっていっている感覚あるね。うちの店やスペースを使ってそう言った世代に交流を深めて貰いたいって思いがあるし、若い連中のクリエイティブな思いを形できるようサポートしたいって思いが強いね。だからH.G.A.S.(HYSTERIC GLAMOUR AFTER SCHOOL)っていうZ世代に向けて発信するプロジェクトもプレスチーム主導で始めた。アートスクールの放課後をコンセプトに音楽、映像、アニメーションなどいろいろな分野で才能を発揮する若いクリエイターたちのアイディアをファッションと融合させ実験的に発表するの。これもこれからもっと形になってくると思う。

RIKACO:
まさにそこ。今ノブちゃん60歳、私56歳で自分たちが若いときから培ってきたカルチャーみたいなものを次の世代にバトンを渡したいという思いが私の中にもあって、だから今回長男の樹も巻き込んでZ世代と呼ばれるコたちの舞台をすることにしたの。ノブちゃんって本当稀有な存在で私たち世代とも樹や蓮たちのようなZ世代と呼ばれるような若い世代とも同じようになんの垣根もなくフランクに付き会えるんだよね。
それはノブちゃんが音楽やアート、カルチャーに造詣がものすごく深いし、驚くような世界のビッグネームともたくさん繋がっていて、それを自然と仕事に結び付けてきたバックグラウンドがあるからリスペクトを持って若い世代が寄ってくるんだよね。あとはその人柄に寄るところも大きいと思う。クリエーションや遊びって部分では尖っていて破天荒なのに、キャラクターという部分ではすごく人を大切にするし、思いやりに溢れているし、何より律儀。だからそこに次々と絆が生まれてくるんだと思う。クリエーションと生き方のそのギャップがまた魅力なんだよね。だから常に年代問わず人に囲まれるし恵まれている。Z世代が学べるところがノブちゃんにはいっぱいあるから学び取って欲しいの。
私たちが若い頃に生まれたブランドがそのファンの人と一緒に大人になって、ブランド創業当時からのファンの人たちの息子や娘の世代にも同じように受け入れられる、まさに今私が体現したいことがこのブランドにはすべて凝縮されていると思った。「こんな近いところに神さまがいた!」って思って今回の舞台に関わって欲しいって改めてお願いしたの。

北村:
人と人の繋がりにおける点と点がまた線になったよね。僕の一番の親友で演出家の若槻善雄くんとRIKACOはそれこそ若いときのクラブ活動でやっぱり結びつきがあって、RIKACOが今住んでいる場所と若槻くんが住んでいる場所がものすごく近くて、彼の嫁さんがRIKACOのビジネスのヘルプをしていたりして偶然が重なっていく。そんなタイミングでRIKACOの次男の蓮と出会って、また別の場所で僕が蓮と幼馴染の展成と出会う。今度は蓮が海外に暫く行くことになったら、蓮から兄の樹にたすきが渡って縁が切れずに済む。偶然が重なってRIKACOとの距離もまたぐっと縮まり付き合いが始まるのはもう必然だったよね。 ヒステリックグラマーにしても90年代を掘り起こすというムーブメントが海外から始まって日本にまで波及することで当時のヒステリックグラマーのアーカイブをZ世代が掘り、ヒステリックグラマーというブランド自体の認知も高まり若い世代でまた活気づく。先日あった僕の還暦のイベントでその日限りのバンドではあるけど、浅野忠信と息子のHIMIが親子で同じステージ立ったのをはじめ、OKAMOTO’Sのレイジくんとか僕のネクストジェネレーションと僕と同世代、そして僕の遊びの先輩たちが同じステージに立ってセッションしたのも凄く感慨深い。点が線となり、クロスオーバーし始め仕掛けようと思ったわけじゃないのに自然と世代を跨いで人間関係やブランドが勢いに乗って盛り上がるなんて理想だね。

RIKACO:
仕掛けてもなかなか上手くいかないこともあるのに、自然と世代が繋がるのが本当に素晴らしい。それはノブちゃんがカルチャーを多角的に捉えているからなのかな。ファッションだけでなく、例えば今回みたいにファッションを媒介に舞台とコラボレーションとか。それによって普段は舞台を観ない層がヒステリックグラマーというフィルターを通して舞台に興味を持ってくれる。

北村:
今やファションブランド対ファッションブランドのコラボは当たり前だし、ちょっと飽和状態。今までみたいにファッションブランドならいいものづくりだけをしていればいいという時代じゃないと思う。コラボするのも服だけに限ったことじゃないしね。。いわゆるZ世代のコたちは子どもの頃から親が聴く音楽だったり、観る映像だったりを横目で捉えながら育っている。さらにSNSとかで情報を簡単に手に入れられるし、溢れているから、僕らが同じ世代だった頃に比べるとより感性が養われている。だからもう従来通りの当たり前を押し付けるような感覚ではその先に進歩はないと思う。

RIKACO:
今はほかにもそういうブランドが少しは出てきているけど、ファッションとカルチャーの架け橋といった意味ではノブちゃんは先駆者的存在だよね。カルチャーへの造詣の深さがレベル違い!だからそういう感覚がプレスチームにも備わっているのが強みだなというのも今回一緒に仕事をしていて感じたことのひとつ。

北村:
今はSNSの影響も手伝って音楽なり、写真なり、表現の仕方と付加価値次第ではある程度は拡がっていく世の中。それをSNS上やデータだけじゃなくてきちんと形にして残しておくのが大事だよね。今海外で80年代、90年代のジャパニーズカルチャーのものが高値で取引されていたりするじゃない、それはその頃のヒスのアーカイブ、レコード、CD、雑誌など形に残っているからこそ数十年後興味を持った人が今掘れるわけで、データだけだったらそうは行かない。僕がこうして今RIKACOにカルチャーに造詣が深いと言って貰えるのも先人たちが形に残してくれたものがあったからそこから掘り下げることができたんだよね。

RIKACO:
今回この舞台のビジュアルやTシャツに力を入れたのはそこ。後世にきちんとしたものを残したいって気持ちがあったから。 舞台のTシャツはヒステリックグラマーがデザインをしてくれたから仕上がりは最高!協賛してくれている恵比寿のBABY HOTDOG CAFÉで買えるからチェックぜひチェックして欲しいな。

BABY HOTDOG CAFE×HYSTERIC GLAMOUR SPECIAL TEE

price_15,400 yen (w/tax)
color_white / black
size_S / M / L / XL
place_ HYSTERIC GLAMOUR STORE , ONLINE STORE , BABY HOTDOG CAFE
drop date_2023 FEB 11

今回、新しい世代の演劇を応援したいという気持ちから奔走してみて、Z世代のものごとの捉え方とか、もがきながら個性を表現しようとしているところを見られたのは私自身の励みになったしいろいろな気づきもあった。世代を超えたものづくりの重みを樹が感じてくれたのも親として素直に嬉しかった。これからこんな場を増やしていけたらいいな。ノブちゃん、これからもよろしくね。

北村:
Z世代と呼ばれる若くて自由なエネルギーが生まれる場は大切にしたい。感覚的に好きの軸が合えば、世代は超えられる。世代を超えてボーダレスにものごとを進めていく感覚は僕らの世代より優れているから学ぶとこも多いよ。

What’s EXP?

新企画として今回スタートしたEXP。EXP とはEXPERIENCE POINTの略で経験値のこと。RPGではキャラクターの成長を表します。さまざまな経験(EXP)を持ち縦横無尽に各界で活躍されている方々が今興味を持ち取り組んでいること、自身の経験から得た教訓を通じ人生の後輩へエールを送ります。

インスタもチェック @hys_exp

<INFORMATION> AFTER PARTY開催のお知らせ

公演を記念したAFTER PARTYがBABY HOTDOG CAFEにて開催されます!劇中衣装として使用されたTシャツの数量限定販売やTEEさんのLIVEもありますのでお楽しみに。

DATE:2023年2月11日(SAT)
TIME:18:00-23:00
PLACE:BABY HOTDOG CAFE
ENTRANCE FEE:4,000 yen (include food&drink)
SPECIAL LIVE : TEE
DJs: DJ NORI , NOBU(HYSTERIC GLAMOUR)

RIKACO

1966年3月30日横浜生まれ。13歳でモデルデビューして以来、均整のとれたスタイルと持ち前のセンスの良さでファッションアイコンとして圧倒的支持を集める。現在は活躍の場をファッションだけに限らず、オーガニックアドバイザー、ビューティーフードマイスターの資格も取得し食やコスメもプロデュース。自身のライフスタイルブランド「LOVE GIVES LOVE」の代表も務める。この2月にはプロデュースする舞台『どうか妹だけは助けてください』を主宰。

Instagram (@rikaco_official)

北村信彦

1962年東京生まれ。東京モード学園を卒業した1984年、(株)オゾンコミュニティに入社。同年、21歳でHYSTERIC GLAMOURをスタート。10代半ばから猛烈にアディクトするロックミュージックを礎に、ブランド設立当初ロックとファッションの融合をいち早く見出したコレクションを提案。ソニック・ユースやプライマル・スクリーム、パティ・スミス、コートニー・ラブをはじめとして数多なアーティストたちと親交を深める。 一方、ポルノグラフィティやコンテンポラリーアートなどにも傾倒、その感性はHYSTERIC GLAMOURの代名詞の1つでもあるTシャツでも表現している。また、テリー・リチャードソンや森山大道、荒木経惟をはじめとする写真作家の作品集を自主制作・出版するなど、現代写真界にも深く携わる。

SHARE

TWITTER

FACEBOOK